予約したホテルを探し、激しく道に迷う。
いや、迷っているのは道だけではなかった。 クレジットカード会社に被害届を出そうかどうしようか、そんなことも迷っていた。
海外のホテル予約サービスというのは、たいていクレジットカードの番号を入力しなくちゃならない。 実際の決済は直接ホテルのフロントでおこなうとしても、おそらくはキャンセル料を徴収したり、いたずら予約を防止するため、というのがだいだいの理由である。
こうしたシステムを逆手にとり、カード番号のスキャニングや詐欺まがいの行為が残念なことにネットでは頻発する。 便利は常に不便の裏表だなあ、とあらためて思う。 ネットやITに依存すればするほど、失うものもまたより大きくなるのだ。
サンクトペテルブルグのモスクワ駅に到着したのが午前8時。
駅構内のトイレ(有料20ルーブル)で顔を洗い、歯を磨き、そのままビジネスセンター(有料150ルーブル/hour)で、ネットに接続し予約したホテルの詳細を印刷してもらった。 洗面台は広く、ビジネスセンターの真っ赤なスーツを着たお姉さんは、いささかぶっきらぼうだけどまあまあの英語を話す。 旅行者にはなにかとありがたい。
ありがたくなかったのは駅構内のどこにもツーリストインフォメーションがないことである。 本来そこは自由旅行をする個人にとっては聖地のようなものだ。 市街地図を入手し、ホテルの場所を確認し、イベント情報をチェックする。 ガイドブックにはない生の情報は貴重だ。 とはいえ、ケータイが普及するにつれ公衆電話ボックスが町から消えていったように、インターネットの普及はこうした施設の需要を選らしてしまったのかもしんない。
印刷した地図を手に、通りに出る。
▲ 独特の屋根の形が目立つペトロパブロフスク要塞
晴天猛暑のモスクワとはうってかわってペテルブルグは曇り空、Tシャツ一枚だと肌寒いほどだ。 地図で示された場所は駅からそれほど遠くなく、簡単に見つかるだろうと思っていた。 むしろ、こんなに朝早くにチェックインできんのかな?とそっちを心配していた。
地図には住所に記載された通りの名前はない。 地図によれば通りからブロック内への中庭に面してるように見える。 ならば、通りの標識よりもホテルの看板が目立つはずだと想像した。仮にも二つ星ホテル、看板くらい出ているだろうし、運が良ければチェックアウトするゲストとすれ違うかもしれない。
いくつかのホテルの看板が見えた。 紙に書いてレンガに貼っただけのものもある。 写真で見たのと大違いだ。 だとすれば詐欺じゃないか、なんてことをつらつら思いながら、だんだん不安になってきたのだ。 そのことは空にも表れていて、しめった風の中にぽつぽつ雨粒が混じるようになった。
ブロック内は迷路のようだった。 道ならぬ道、アパートの裏庭にはいり、怪しげな人たちがたむろする路地裏にでた。 強面の男たちがガレージに入る高級車に頭を下げている。 よせばいいのにそんな男の一人に地図を見せ「このホテルがこの辺にないか?」と聞いてみる。 坊主頭の男はぼくを睨みつけ、野良犬にするようにしっしと手で追い払うのだった。
▲ 地図を拡大してみると、ブロック内の路地か建物内にあるように見える
大通りに面したカフェに入り、店員に地図を見せる。 ホテル名と通り名を告げる。 暇そうなウエイター達が集まってきて、何やら話しているが首を傾げられておしまいだった。 ええ!? と思う。 ホテルじゃないか、と。 看板すら見かけたこともないのか、と。 「コックにも聞いてみる」と店の奥にはいる店員に敬意を払い、コーヒーとオムレツを注文する。 うまく見つけてくれたらチップは弾むつもりだ。
▲ 通りから見える旧海軍省の建物
しばらく待ったが、出されたのは注文したものだけだった。 やはりこのホテルは知らない、とにべもない。 まてよ、ホテルの電話番号があったはずだ。 ぼくはすぐさまiPhoneを取り出し、記載されていた番号にコールする。 プー・プー・プー、どうやら話し中である。 一度きってかけ直す。 同じだ。 しばらくしてもう一度。 プー・プー・プー・・・
このあたりからぼくは、あのサイトを疑い始めていた。 ホテルの予約サイトの体裁を取りながら、適当にホテル名と住所や写真を載せただけの、実はクレジットカードのフィッシングサイトだったんじゃないか?
だとすれば、カード番号が漏れている可能性がある。 だのにぼくは、翌日のモスクワの宿もこのサイトで手配してしまっていたのだ。 いやな汗がわき下を濡らす。 時計をみると、駅を出てすでに2時間が経過していた。
オムレツがのどを通らなかったのは不味かっただけが理由じゃない。 ぼくはロシア語しか通じないウエイターにツーリストインフォメーションオフィスの場所を聞く。 いささか不安だったがこれは通じ、紙に簡単な地図まで書いてくれた。
それを頼りに店を出る。 ほかに何をすればいい?
▲ 通りにはボートツアーへの呼び込みスタッフがあちこちに(ぜんぶロシア語)
インフォメーションオフィスは意外に早く見つかった。
ただ、残念なのは入り口の鍵が閉まっていたことだ。 ドアノブから手を離し、きっと昼休憩に違いない(観光案内をする施設なのに、それもどうかと思うが)と自分をなだめ、一度その場所からはなれる。 雲はさらに黒く厚くなり風も強まっていた。 それが不安をあおる狙いならば上出来だ。 きょう一日オフィスが休みだったらどうしようかと思わせるに十分だったから。
「そもそも”Nevsky Hotel Grand”なるホテルが存在するのか?」
という疑いをはらすことがツーリストインフォメーションに訪れた理由である。 クレジットカード会社に電話をするのはそれからだ。 サイトが悪質なものなら、とうに何かおっぱじめているはずだ。 それよりカードを止めれば後がやっかいだ。 それはそうと、今夜の宿はどうしようか? このあたりは一拍6万円以上するようなホテルばかり。 この国でウォーク・インするならまず正規料金に違いない。 これ以上、勉強代にしては高すぎる。
▲ 壁をなめると甘いんじゃないかと思うくらいチョコレート色。寺院の名前は『血の上の救世主教会』。外見どおりグロテスクな名前だ
ブロンドでブルーのスーツを着たとてもかわいらしい女性が現われたのは、ぼくがドアの前で1時間を過ごしたころだった。 胸元に”IRENA”という名札をつけている。
「いつから待っていたんですか、ミスター?」と彼女は鍵を開けながらぼくに話しかけ、「ごめんなさいね。きょう担当するだった同僚が休んじゃったのよ」と続けた。 きれいな英語だった。 天子の声のようにも聞こえた。
連日の熱帯夜でむっとするオフィス内。 古い紙の匂いが充満している。 彼女はひと通りオフィスのライトをつけ、内側に回ってカウンターにつき、「さて」といった感じでぼくを見上げた。
ぼくは探しているホテルの名を上げ、事情を説明する。 彼女はうんうんとうなずきながら話を聞き、あっさり「あなたの地図が間違ってますね」といった。 それから別の地図を広げ、長くきれいな指先をそこに置いた。 「そのホテルの住所はここで、ちゃんとありますよ」
スパシーバ! イリーナ!
彼女の手を取り、強く握手しながらぼくは歓喜した。
英語でサンキューといい、日本語でありがとうといった。
「ドウイタシマシタ」とビミョーな日本語で彼女は答えた。
▲ ホテルの位置はサイトから印刷した地図にはこうあるが・・・
▲ これがそのホテルの入り口。たどり着いたとき思わず小躍りしたのはいうまでもない
世界遺産をみたいのなら自宅でも見ることができる。
現地でないと体験できない喜びは、自宅では得られない味わいがあるものだ。 そしてそれは、たいてい不安のあとにこそやって来る。 それを「ひとりずもう」といってしまえばそれまでだけど、人生の喜怒哀楽の35%はそんな「ひとりずもう」からもたらされるもんじゃないかと、ぼくはひそかに思っている。
▲ バルト海へつながるサンクトペテルブルグは港町。水のある風景はいいものです
ついにイラ写がポッドキャストに!?
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観光地では「みどころ」よりも「トラブル」のほうが忘れ難い想い出になりますよね
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