日本に住んでいると、いろいろと会社のエラい人たちの謝罪会見を見る機会に恵まれる。なにも見たいわけじゃないけど。
謝罪しながらも「自分がやったわけじゃないのに」といいたいんだろうことは顔でわかる。テレビ局クルーはたいていふてぶてしいが、こんなふうにエラいひとが自分のカメラに向かって謝罪すれば、そうなるのも無理はない。
そんな知らぬ存ぜぬの人たちが交わすのがお約束なら、「ああ言ってるんだから」と許す寛大なポーズもお約束である。
東京電力幹部のポーズだけの土下座が痛々しい。
誠意が感じられない態度には、庶民は通常「その会社の商品を買わない」ことで報復していた。だがこんどばかりはそうもいかない。電気を買わないことで困るのはこっちで、あっちじゃない。
電化製品は好き勝手に選べるのに、電気そのものは選べない事にあらためて唖然とする。こんなの社会主義経済と変わんない。
明治時代からこっち、この国には電力会社が大小数百社もあった。
それが強制排除になったのは戦時中全国9ブロックに統合された区域に、終戦後、GHQによって「1ブロック1電力会社」とされてしまった。自由だ、民主主義だと口ばかりの解放は、こんなところでボロが出る。
これじゃまずいと99年、特定規模電気事業者(PPS)が解禁になった。ようやく戦前同様、利用者が好きな電気業者を選べるようになったのだ。にもかかわらず、これまでPPSのシェアはたった3%。
なぜか?
発電はPPSでも、送電は従来通り東京電力などが行なうからだ。PPS各社は、託送料を払い送電してもらわなくちゃならないのだ。それも相手は商売敵でもある従来の電力会社だ。企業努力の末やっと大口契約を勝ち得ても、顧客を奪われた腹いせに東京電力などに託送料を値上げされれば、利益などふっとぶ。
こんなのまともな自由競争じゃない。
規制が新参者を排除するという典型的なパターンである。
PPSが独自の送電網を使えないことに抗議を受けた東京電力は
「安定供給のためには発送電一貫体制*1を維持すべき」と云う。
それが大嘘だったことが、計画停電で暴露されてしまった。
東京電力をPPSに切り替えていた工場も、計画停電のため送電がストップ、ラインを稼働できなかったのだ。
「電力は余っているから提供したい」
計画停電をふびんに思った六本木エネルギーサービス社が名乗りでた。知る人ぞ知る六本木ヒルズ地下6階に発電所を持つPPSのひとつである。ガスタービンにより発電される電力供給量は3万8千キロワット。
これは心強い。だが叶わない。規制のためPPSは指定された区域以外に電力を供給することができないのだ。
規制まみれの自由。それはこの国の運命を象徴しているようだ。
どれだけ高性能な電化製品が生活を潤そうが、優秀な自衛隊員がいようが、規制が行動を阻み、予算削減による装備の貧弱さが明るみになった。危機管理の足らなさが公然と露呈した。
自衛隊の活躍の裏には米軍のサポートがあった。
まるではじめから決まっていたかのようである。防衛費を非現実的なほど削るいっぽうで、米軍には予算を割く。トモダチ作戦の米兵たちは志願兵も多く献身的であったし、その甲斐あって多くの命が救われた。けれどもテレビの前で「日本は米国と同盟していて本当によかった」とやり、対米従属派はいきを吹き返した。
たとえば思いやり予算、あるいは普天間。譲歩を迫る一面もあった日本だったが、今後はより米軍依存型の体制が強化されるに違いない。
あらためて痛感する。
統制型電力体制はGHQが定めたままになっていたことと、たとえ相手が天災でも自衛隊だけではこの国を護れない現実を。
以前の記事で今の日本は1945年のそれだ、と書いた。
GHQマッカーサー様、ありがとう!も、繰り返されるのか。
*1:発送電一貫体制:発電会社と送電会社はひとつであることが望ましいとされる体制
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