80年代なかばのころの話である。
ぼくはペトラという女友達の部屋に招かれ、
ユーゴ人の友人ジョニーと共に遊びに行った。
季節は忘れた。ジョニーはロックンローラーで、
季節に関係なく黒い革ジャンを着ていたからだ。
すすめられるまま、野郎2人はソファに並んで腰掛け、
なみなみと注がれた紅茶をこぼさないよう口につける。
ダンディな姿ではないが、キュートといえなくもない。
ペトラは言う。
「好きなレコードを持っていってちょうだい」
レコードプレーヤーが壊れたことをきっかけに
ようやくCDデッキを買う決心がついたのだと彼女は言う。
「これでどうどうと買い換えれるわ」と晴れやかな顔。
CDプレーヤーはまだ完全普及に遠かった時代である。
それで彼女は持っていたレコードを処分することにした。
100枚以上あったというレコードは、残り20〜30枚程度。
すでに招かれた何人もの友人によって物色されたのだろう。
そのことはぼくたちと彼女の関係の深度をあらわしていた。
ジョニーはロックンロールが好きで、
ぼくはブリティッシュロックが好きだった。
だが彼女のコレクションには、そのどちらもなかった。
結局ぼくは2枚、ジョニーは1枚のレコードをもらった。
この様子だと、ぼくたちの前に20人は招かれていたはずだ。
2枚のレコードはどちらも古いジャズのものだった。
そのうちの一枚は今でも憶えている。
アビー・リンカーンの『ストレート・アヘッド』
クレジットは1961年。なんとぼくが生まれた年よりも昔である。
ロック好きの当時のぼくにとって、ジャズはメローで退屈すぎた。
でも、寝る前にウイスキーを飲みながら聴くには心地良く、
結局何度となくターンテーブルにのせることになったのだ。
そのなかの一曲、『ブルー・モンク』
monkery’s a blue highway
measured by the dues you pay
という、歌の最後のフレーズが気になってしょうがない。
英語の歌詞にはそのようなフレーズが往々にして見つかる。
直訳では解釈できないセンテンス。
修行の生活は茨(いばら)のハイウエイ
払ったぶんだけ測られる
なんのこっちゃ?である。
周りに聞いても、ピンとくる答えが返らない。
当のペトラに聞いても「そんな曲あったっけ?」とそっけない。
それから四半世紀を経て、謎は解明した。
先日たまたま手にした『村上ソングス【中央公論新社】』で
偶然にも『ブルー・モンク』が取り上げられていたのだ。
村上春樹はそのフレーズをその本の中で、次のように訳していた。
人生は厳しい有料道路
支払った額で、どこまで行けるかが決まるのさ
なるほど、さすがは翻訳家である。
でもあっさり意味が氷解してしまえば
長年この曲に抱いていたある種の「不思議さ」が失われ
それはそれで、寂しいものである。
モンケイー、ザブルウー、アイウエイ
メイジャーバイダデュー、ジューペイ
あのころは世の中もよくわからないのにエネルギーだけはあって
周りも傷つけ、それ以上に自分を傷つけていたように思う。
そんな頃の自分には「ブルー・ハイウエイ」という言葉が
象徴するかのようにしっくりきたのかもしれない。
たいしたことはちっとも出来やしなかったのだけど
いつもたいしたことばかり考えていた、青い時代である。
ブルー・ハイウエイ
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