会議中、ぼくはあまりメモを取らない。
ノートは持ち歩く。だがそれはスケジュール帳だ。
メモを取ることがあっても、数字とか、単語だけ。
たまに図やイメージを描く。言語化しないのだ。
理由はみっつ。
ひとつは、会話や議論に集中できなくなるから。
ふたつめ、どうせあとで見返すことはないから。
みっつめ、面倒くさいから。
そんな性格からか
上手にノートをとる人にはつくづく頭がさがる。
整然とキレイに並んだ文字を見ると感動すらする。
はやい話、ないものねだりだけなのかもしれないが。
いっぽうで、会社のトップや、そこそこキレる人たちは
ぼくの知る限り、全くと言っていいほどメモを取らない。
そのわりには、細かいことをよく覚えていたりする。
いったいどこのレベルで記憶していたのだろう、と感心する。
英語で、フェルトセンス (felt sence)と表現される
心のなかにふつふつと湧き起こる感情や感想。
「ああ、美味しかった!」「あいつ、むかつく!」
「そんなのくだらない」「とても素晴らしい」
・・まあ、そんなところだろう。
感情は言語化すると、いささか主観的に過ぎるのだ。
感覚が鈍くなったり、真の感情が隠蔽されたりもする。
えー。うそー。ほんとー。で すべてが台なし。
ライブ感はあるかもしれない。ツイッターやSMN*1。
だが、それまでだ。ネットは、だからコワイ。
口ゲンカや、メールでのケンカ。
これは、心に浮かんだ感情をすぐに言葉にした結果である。
勢いにまかせ、矢継ぎ早に感情をぶつけ合えば、そうなる。
「それがオマエの本音だったんだな!」
だが感情にまかせて吐き出す言葉は本音とは違う。
感情によって、本音はむしろ隠蔽されるからだ。
このことを心理学では言語的隠蔽という。
思い立っても、グッとこらえて、すぐに言語化しない。
自分の感情に直ちに到着し、精緻に言語化できるはずもない。
苦い経験からぼくが学んだのは
フェルトセンスは、言語化せず「寝かす」ことだ。
人の感情はそもそも、そんなに浅くはない。
一晩寝かす。
ひとりでじっくり考えてみる。
そういうタメが、今の時代、いっそう必要に思う。
だからノートには、数字と、記号と印だけ。
ちょっと言い訳じみてはいるけど。
*1:SMN : Social Media Network
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