ふだんはコーヒーばかりで紅茶を飲む習慣がないのだけど
ある日、無性に冷たいダージリンティーが飲みたくなって、
たまたまセミナーで訪れていたホテルのカフェに入った。
紅茶といえば英国だが、
これにはずいぶん血なまぐさい歴史がある。
例えばこのダージリンティー。
産地はインドのアッサム地方である。
19世紀初頭、東インド会社の社員が中国産の茶木を
ここで栽培し、紅茶にして飲んでみたところ
これがめっぽう美味かった。味が濃くて芳香。
たちまち英国で大人気ブランドになった。
ミルクティーで飲むのが標準なのはその濃さゆえである。
だがアッサム地方はもともとビルマの領土である。
それがなぜ、インド領になり、なぜお茶なのか。
思えば、その理由こそがこの国の不幸だったかもしれない。
19世紀はじめ頃まで、お茶は中国でしかとれないとされていた。
ゆえに英国人は、中国人の言い値で買うしかない。
そんな中国との取引に業を煮やしていった英国人は
やがてお茶をアヘンと交換することを思いつき、実行した。
当時はお茶がそれほど貴重なものだったのだ。
そんな奇妙な交易の甲斐あって、アヘン中毒患者続出
売りつけられた中国人にとってはたまったもんじゃない。
それで暴動が起こり、アヘン戦争へと発展した。
もとはといえば英国人の「お茶欲しさ」である。それも安く。
ビルマのアッサム地方。冷涼で霧もでる。
茶畑にはうってつけの気候である。
中国以外の場所でお茶が栽培できる土地がほしい英国は
さっそくビルマに戦争を仕掛け、1824年、この土地を奪う。
野生の茶を集めて栽培し、高原に英国人専用の街を建設。
これが後にダージリンの街となる。
お茶は一躍ブランドになった。
アッサムのビルマ人にとっては厄災以外の何ものでもない。
さらにびっくり。このあたりで石油が出ることがわかった。
タングステンやニッケルの鉱脈まで見つかった。
ふたたび英国は兵を送り、こんどはビルマ全土を手に入れた。
ただのお茶好きな紳士淑女ではないのが英国人だ。
ビルマ国王ティボーと家族はインドへ流され、
王女はインド兵の愛人に下げ渡された。
アッサムはいまではインド領だが、
土地の人は日本人と同じ、モンゴロイド系である。
これも災いした。
英国はインド人は白人と同じアーリア系だけど、
ビルマ人やアッサム地方の人達はモンゴロイド系。
だからビルマはインドより格下扱いとされたのだ。
英国の庇護のもと、インド人はビルマでひどく横暴であった。
まさに「虎の威を借りる狐」だった。借りまくっていた。
ビルマ改めミャンマーの人たちは、
これらのこともあって、いまでもインド人が嫌いである。
戦時中、破竹の勢いの日本軍がここで英国人を追い払い、
英国に与するインド人を追い払ったことも、
ビルマ人に歓迎される理由となった。救世主が来たと。
だがインパール作戦で日本軍は英軍にボロ負けし、敗戦。
ふたたび英国人がビルマに戻ってきて支配を始めた。
英国は戦中、インド人にもビルマ人にも、
日本をやっつけたら独立させてやるからがんばれ
とほのめかすも、約束を守ったのはインドとだけで、
ビルマの独立は許さず、
ビルマ独立の志士アウンサンは暗殺された。
そしてこのアッサム地方も、英国人によって
勝手にインドに編入されてしまったのだ。
アッサムティー、ダージリンティー、石油、タングステン
これらはインドの、いまでも主要な輸出品である。
そのうちの一杯を、ぼくは飲んでいる。
ストレートで飲めば、くしゃみが出そうなくらい濃厚で
みょうにほろ苦いのだ。
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