ヤンゴンからプロペラ機に乗ってバガンへ。
到着ゲートをくぐるとすぐに、タクシーの客引きにつかまる。
雨期のバガンはただでさえ観光客が少ない。少ない客を目がけて彼らも必死なのだ。
「ホテルはどこ?」
「オールドバガンなら6000チャット(約600円)でいくよ」
「高いな」
「正規の料金だ、ほら見て、看板にもそう書いてある」
なるほど、正規の料金のようだ。
ホテルまでの道すがら、しつこく滞在の予定を聞かれる。
「ねえ車をチャーターしない?」
「行きたいとこ全部連れていってあげるよ」
「ポッパー山ツアーもあるよ」
「きれいな山だ。てっぺんに寺院がある」
となかなか引き下がらない。どうもぼくはこの男が生理的に好きになれない。勘だけど、互いにあとで嫌な思いをする気がするのだ。
「すでにガイドを予約しているんだ、悪いけど・・」
デマカセである。
ホテルだってさっき空港で予約したばかりなのだ。
ツアーの予約をしているわけがない。
ミャンマーの空港タクシーはたいていドライバーの他にもう一人付いてくる。英語を話し、ガイド役として車のチャーターをさかんにすすめてくる。空港からダウンタウンまでの料金はいわばエサで、ツアー客を獲得するための網なのだ。
結局、獲物はかからず、ぼくをホテルの前におろすと、さっさと次の客を求めて空港に引き返していった。
朝8時に宿にチェックインしたのは、自己新記録だ。
ひとりで泊まるにはもったいないくらいの広いツインルーム。花が添えられ、アロマがたかれていた。これで6000円ちょっと。なんだか申し訳ない。
さっそく部屋を案内してくれたボーイに1ドル握らせ、50ドル分の両替と貸自転車を一台、調達してもらう。それから明日のガイドも。
自転車は変速機付きで、わりと快適に走る。
バガンには大きな街はなく、近くにいくつかの村が点在するだけの自然の大地だ。メインロード以外は舗装もされていないから、ぼくは砂煙を上げながら遺跡の間を滑走した。
こんな道を自転車で走っていると、子供時代のことを思い出す。1970年の日本は、舗装なんてされていない道なんていくらでもあった。土と砂にまみれて遊んでいたのだ。そうそう、こんなふうに砂にタイヤが取られ、バランス崩して倒れちゃうんだよなあ、とか懐かしんでいるうちに、本当に倒れた。
村で、子供の修行僧たちとすれちがう。
漆塗りのおひつを持って、近所のおばさんから托鉢のご飯をよそってもらっている。朝の習わしなのだろう。少しずつ、いろんなおうちのご飯が、それぞれのおひつに何層も詰められる。修行僧たちはこうして、村ぐるみで同じ釜の飯で育つのだ。
村人とすれ違うたびに目が合う。
にっこり笑うと、相手も笑い返す。
ときどき日本語で「こんにちは」といわれる。
どうして日本人だってわかっちゃったんだろう?
「ジャパン、チャンピオン!」
「おめでとう!」
「応援してたよ」
「ジャパンが勝つと思ってた」
口々にそういわれる。自分のことじゃないのに、ただ日本人というだけで「おめでとう」といわれるのがくすぐったい。
どこを走っていても三角帽子のパゴダが見える。
その合間を抜け、次のパゴダの横をすり抜ける。さっきからひとりの少年が伴走しながら、いろんな世間話をしている。
「バガンは雨はふらないの?」きこきこ(自転車をこぐ音)
「降るよ、なにしろ雨期だからね。今日は晴れているけど」
「ヤンゴンはずっと雨だった」きこきこ
「このへんは乾燥しているんだ」きこきこ
「あなたは学生?」と少年に学生扱いされたりもする。
「いや、働いているよ、キミは?」ぎこぎこ
少年は前から来たトラクターをよけ、エンジン音に負けないよう
「家族が描いた絵を売っているんだ」と大きな声でいった。
「見せてみろよ、よかったら買ってやる」
とぼくは、よく考えずに言う。
ぼくたちは自転車を止め、朽ち果てた寺院へはいった。
少年はその地面の上に巻いてあった絵を広げる。
「砂を塗料に溶かして描いたんだ」
なるほどキャンバスの表面がざらざらとした感触があった。
「ほらくしゃくしゃにしても砂が剥がれない」
とキャンバスを無造作に丸めて見せる。
どうやら砂絵はこの地方の名物らしかった。
「ねえ日本のお金もってる?」
「なんで?」
「今の日本のお金を見たことがないからさ」
でもね、と少年はショルダーバッグの中から古い紙幣を見せる。
「昔のなら持ってるよ、ほら」
少年が見せてくれたのは10ルピー札だった。
「ちがうよ、これはインドの紙幣だ」
とエラそうにぼくは言う。
「よくみてごらんよ、ここ」
と指差す部分に『大日本帝国』と印刷されていた。
軍票だった。
第二次大戦時、日本の将兵はビルマに入ると持金をすべてこの軍票に交換させられ、現地での買い物はすべてこの軍票で行われた。たしか1円=1ルピーの交換レートだったはずだ。
すごいな、とぼく。それから1000円札を取り出し、少年に見せた。
「きれいな紙幣」と彼はいい
「これでどのくらいの価値?」と聞く。
「その絵、いちまいぶんだ」
ぼくは適当に言ってみる。
結局、絵を3枚買った。対価は1000円の他に30ドル。
いっそ軍票も買い戻してやろうかと思ったが、やめておいた。少年は思わぬ収穫にとても喜んでいた。こちらは思わぬ出費だったが。それからしばらくオールバガンの方まで一緒に走り、昼ごはんに彼を誘った。現地の食堂にはいりたかったのだけど、文字がまったく読めないので困っていたのだ。
薄暗い食堂。テーブルいっぱいに料理が並ぶ。
結局ぼくはほとんど箸がつけられなかった。少年は量が量だけに食べきれず、残りは弁当にしてもらっていた。ミャンマーローカル料理はなかなか手強い。少年もだ。思えばぼくは彼に、いいようにしてやられたのかもしれない。ならば、あっぱれではないか。
そういう一日が、旅にはある。
ミャンマー滞在中、雨がふらなかったのはこの日だけだった。
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