そりゃまあいろいろあるね。と連れがいう。
ぼくは30年ぶりにあった中学時代の友人と新橋で飲んでいた。
フェイスブックのおかげで、古い友人と再会することがある。
彼もそんな友人のひとり。
盛大な結婚式をあげた同年、妻と別れ、翌年離婚したという。
「派手な式をあげりゃ離婚の抑止力になるかなと思ったんだが」
そういいながら何杯目かの焼酎のロックを空ける。
ぼくもつられてウイスキーのはいったグラスを空にする。
空のグラスが下げられ、新しいグラスが目の前に置かれる。
何十年後どこかでばったり会って、一緒に飲んだりしてな。
中学生だったころ、誰かがそんなことを言っていた。
発言者は彼だったかもしれない。
そんなことぼくには想像すらできないことだったが
実際そのとおりになった。
10代のときの彼はどちらかといえば肥満体質だったが、
目の前の彼は痩せていた。たいてい逆のほうが多いけれど。
生え際は相応に後退していたが、丸い目は人懐こいままだ。
着ている白いワイシャツはサイズが一回り大きく見えた。
「タバコはやめたよ、効率が悪い」
吸っていたことも知らなかったが、
『効率』というのが彼らしい。健康と言わない所が。
中学のころの口癖は「そんなの時間の無駄」
「しないほうがマシ」だった。ぼくと正反対だ。
ぼくはといえば変わらず無駄なことばかりしている。
肝心なこともたまにはするが。
20代のガールフレンドがいるんだと、彼は言う。
離婚の原因かとふつうに思ったが、
つきあい始めたのは最近だ、と付け加えてきた。
「羨ましいやつだな」とぼくは適当に相槌を打つ。
もちろん冗談だ。20代の女の子なんて手に負えない。
「きれいな子だが、彼氏ができにくいタイプでな」
あまりしたくない話題だったが、彼は続けたがった。
ぼくはグラスの中のまるい氷を中指でくるくる回す。
「変化を嫌う女は、たいていの男に不信感を持つもんだ」
しばらく彼女の馴れ初めを話し、まとめてそういった。
「お前が言うようなセリフとは思えんな」とぼくは答えた。
若いガールフレンドの存在は何かの自信につながるらしい。
自分が『たいていの男』でなかったことを強調してみせた。
彼の気持ちはわかる。身におぼえもある。
「で、どうなんだ?お前は?」
ぼくの反応が鈍いのを気にかけ、話をふってくる。
あるいは話したいことがひと通り話せたからかもしれない。
「ロシアに移住してロシア女と結婚したとか聞いてたが?」
どれも当たっていなかった。「ドイツだよ」とぼくは訂正した。
きっと同窓会かなんかでだれかが適当な伝聞を広めたんだろう。
「学生を名古屋でしてからドイツに渡り、しばらく住んだ。
今世紀直前に香港に移り、6年後日本に戻ってきた。出直しだ」
細かいところを省いて答えた。
なにしろ中学を出てから30年以上も経つのだ。
いろいろあるのはお互いさまである。
時計が0時を回ると、店の客層がバタバタと入れ替わりはじめる。
「電車がなくなる」と彼はいい、鞄から財布をつかみ出す。
それなら、とぼくはカウンターのあちら側のバーテンを呼ぶ。
何ならとことん付きあうつもりでもいたが
タクシー代なら、他に使いでがある。
夜風にあたりながら「また飲もう」とJR駅で彼と別れた。
30年ぶりにあったわりに、話題は意外なほどそっけない。
当時、ぼくたち共通の話題はキャンディーズだったはずだが。
それがオジサンという生き物なのかもしれない。
厄介毎に振り回され、立ち止まって辺りを見回す暇もない。
街角に設置された監視カメラとはそのあたりが違うのだ。
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