いいわけのうまい人がいる。
ミスをしたり、不義理をしたりしても
たしかにそれじゃあしょうがないなあ
と相手に思わせるような人。
そのいいわけがたとえ真実だとしても
理由付けはするべきではないという話だ。
「いいわけは、同じ失敗をくり返す呪いだよ」
ぼくが幼いころ、よく祖母が言っていた。
はじめはなんのことかよくわからなかったが
年をとるにつれ、その意味するところが理解できた。
たとえば、出勤や訪問、待ち合わせに遅れたとする。
遅刻の理由を「寝坊」にすればその人は何度も寝坊し
遅刻の理由を「電車の遅延」にすれば、
そのひとの乗る電車は、なんども遅れるのだ。
考えてみれば恐ろしい。
恐ろしいのは、いいわけをすることで
「寝坊なら遅刻してもいい」と
脳に刻み込まれるこまれることだ。
自己弁護の心理からくる自己の正当化。
祖母のいう「呪い」はそういうことだった。
自己弁護は自己正当化につながる。
もっともらしいいいわけをついているうちに、
その人を「失敗しやすい」運命に変えていく。
これを「呪い」と言わず、なんと言おう。
人生はさまざまな失敗や小さなミスであふれている。
それが原因でチャンスを逃し、致命傷になることも。
失敗やミスは「くせ」になることもあるが
おそらくそれは「いいわけ」によるものだ。
必要なのは「いいわけ」ではなく「対策」である。
同じミスを繰り返さないよう、次からはどうするか。
もっともらしい理由をつけばつくほど
そのことに意識が回らないのが「呪い」の正体である。
久しぶりに亡き祖母が夢に出てきたことをきっかけに
ふと、そんなことを思い出しました。
自分を叱ってくれたり、叱ってくれていた人を
大切に思い、これからも大事にしたいものですね。
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