たまはがね
ひらがなにするとちょっとわからない。
漢字で書くと「玉鋼」。
これでもやっぱりわからない。
実はこれ、日本刀の刃になる鋼のことをいう。
古来より世界のいたるところで剣(つるぎ)が作られたが、独特の反りのある日本刀が生まれたのは10世紀。平安時代のことだ。
チタンなど不純物の少ない砂鉄を炭、これを交互に重ね「たたら吹き」で溶かす。こうしてできた玉鋼を刃に、銑(ずく)を刀身にして焼入れ、生まれた日本刀は鋼技術の最先端であった。折れないけど切れない中国大陸の直刀とも、切れるが折れやすい西洋のサーベルとも違う、独特の強さが日本刀にはある。
そんな玉鋼を1トン精製するには、なんと130トンもの木材が要った。4トンも作れば山がひとつ禿げ上がるほどの量だ。環境破壊はなにも現代に限ったことじゃない。もう何千年も前から武器や城壁を作るたびに、木が燃やされ、緑がひとつ、またひとつ無くなっていった。北アフリカも、中東も、中国もだ。
それにしては、とぼくは思う。
あらためて見渡せば日本はほんとうに緑が多い。10世紀とは比べものにならないほど人口は増えたはずだが、緑緑とした山々は新幹線の車窓から見える景色のほとんどを占める。あれほど武器を作り城を建てても、あるいは製鉄所を作りビルを建て続けても、まだこれほどの山河が残り、残りすぎて花粉症で悩まされることに驚く。
日本で玉鋼が大量に生産されていたころ、となりの朝鮮半島は揃いも揃って禿山だらけだった。9世紀には切り出す木がなくなり製鉄業も廃れていたという。それを「加藤清正*1が16世紀に侵略してきて、虎退治のついでに木を切ったから」などと韓国の教科書では教え、禿山を日本人のせいにしている。
もしホントなら別の意味ですごいが、こんなのデタラメで、朝鮮半島にある山は至るところでとっくに禿げていた。何百年も禿げ続けていた。禿げちらかしていた。ようやく山に緑が戻ってきたのは20世紀にはいり、日本による統治が始まってからだ。韓国併合によって日本から朝鮮にもたらされたのは、橋や学校、病院だけではない。緑もだ。日本統治時代に進められた植林による貢献であった。
韓国人はソウルの日本大使館の前に被害者妄想的な像は建てても、日本が貢献したことはひとことも触れない。後世に伝えているのは植林の史実でなく、まさかの禿山犯人扱いだ。いい人たちなのだろうが残念である。
木に山と書いて「杣(そま)」という
この漢字、中国にはない。日本独自のものだ。
薪炭材用の木材専用の山のことを意味し、律令国家の時代から国家が保有したとある。伐採したらちゃんと植林する。これを7世紀の大和の時代から国家ぐるみでやっていたのだ。文明は土地から緑を奪うものと相場が決まっていたグローバルスタンダードからすれば、日本人の環境意識はもう筋金入りである。
100年前、ドイツ人ワルデマール・アベグによって撮影されたアジア各国の風景【100年前の世界一周 National Geographic社より】
▲ 中国、万里の長城付近。山には木々がちらちら残るのみで、岩と土が露出している
▲ 朝鮮半島の風景。山はゴツゴツとした岩肌だけで木々はほとんど見当たらない。
最先端技術革新には環境破壊がつきまとう。
そうでなかった日本をあらためて誇りに思う。
メリー・クリスマス!
*1:文禄・慶長の役(ぶんろく・けいちょうのえき)は1592年(日本:文禄元年、明および朝鮮:万暦20年)から1598年(日本: 慶長3年、明および朝鮮:万暦26年)にかけて行われた戦争。日本の豊臣秀吉が主導する遠征軍と明および李氏朝鮮の軍との間で交渉を交えながら朝鮮半島を戦場にして戦われた。日本と中国・朝鮮連合軍との間で展開したこの国際戦争は16世紀東アジア最大の戦争とされる[【Wikipediaより】
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