「日本は自殺がとても多いんだってね」と
エドガーはビールをひとくち飲んでから、言った。
フィリピン、セブ島。
ぼくたちは一日の仕事を終え、大家族で夕食を囲んでいた。
1988年、日本ではバブル景気に湧いていたころだ。
「リンドンから聞いたよ、電車がそのたびに停まるって」
当時ぼくは仕事の関係でセブ島に赴任の身、
事情あって、エドガー邸にホームステイしていた。他に違わずここの一家も親子3世代がともに住む大家族。おまけに夕食時には近所の人達がちらほらやってきて総勢15人くらいで食卓を囲んでいた。
フィリピン人はまず一人で食事をしない。家族と、仕事仲間と、あるいは近所の人達と揃って食事する。余った食事は「家族にと」誰かしら近所のひとのおみやげになる。
「なんで自殺なんてするんだ?日本はリッチな国なのに。」
エドガーに解答を求められて困る。ぼくだってよくわからない。
「サムライの国だからだ。プライドを守るために自殺する」
適当に答える。案外そうなのかも、と思いながら。
バブル期当時の日本の自殺者数は年間約2万人。1995年以降は3万人を超えて今に至る。フィリピン人からすれば異様に見える。10万人あたりの自殺者では、フィリピンは日本の10分の1以下。話題にもならない。貧しくて飢えることもあるが、必ず誰かが助けてくれる。本人も遠慮なく助けを求めてくる。
プライドってなんだろう?
自信のことだろうか。でも
自信を守るために自殺するなんてありえない。
自信をなくしているから自殺するのだ。
なにを守ろうとして自殺するのか?
たぶん「体裁」ではないか。
いまエドガーから聞かれればそう答える。
ぼくたち日本人は幼いころから「ひとさまに迷惑をかけちゃダメですよ」と言われて育つ。「ひとさまってだれのこと?」と幼いぼくは大人に聞くが、ろくに答えてもらえない。「おてんとうさま」かもしれないし、「世間」かもしれない。実態はなく、目にも見えない。だから「空気」などと呼ばれるのだろう。
日本人は「自分さえ良ければ」という行為を軽蔑する。
他人を思いやるという気持ちを自然に持つ。
そんな日本に生まれ、育ってきた。
だからフィリピンで暮らし始めたころ、違和感があった。
他人に迷惑をかけて、ぜんぜん悪びれないことに。
おまけにいつもニコニコしている。なにが楽しい?
そんな彼らにぼくはイライラさせられた。
仕事が遅いしサボるところも。
日本に一時帰国した時、ぼくはなにかわかった気がした。
電車の中で押し黙る人たち。いつも互いにペコペコとお辞儀をしている。どうして眉間にシワが寄るのか?それにしてもなぜ小声なのだろう?バブル時代の日本ですらそうだった。そんな東京の暗さかげんにくらくらした。
ふだん意識せずとも、人に迷惑をかけないよう生きるにはそれなりにストレスが貯まる。ゆえに他人からの迷惑にも敏感で、ストレスを感じやすい。こっちだって我慢してるんだからそっちも我慢しろと。
どちらがより我慢できるか?
それを「おとな度」と呼び、度数の低い人を「子供」と呼ぶ。
たしかに周囲を見渡しても、ストレスがたまりやすいひとは「体裁」をより重んじるひとである。言ってることは「正論」だし、まあそれはわかるんだけど、やたら人の目を気にして暮らす。そしてこの人達のストレスこそが、世間をモンスター化しているのだとぼくは思う。ストレスは他人のストレスを誘発しメンタルにも支障をきたすが、その根源が「他人に迷惑をかけないようにする行ない」だとすれば、なんと皮肉なことだろう。
底抜けに明るいフィリピン人。
だが日本人が学ぶべきことも多い。
彼らから見れば日本人はだれも「ネクラ*1」だ。それに細かなことでいちいちうるさいと。そのくせ自殺しようとする人を救えないじゃないかと。
バブル時代の日本人をみても「暗い」と言っていたフィリピン人の友人たちをふと想う。あのころの日本人はいまよりもずっと自信を持っていた気がするが、じゃあいったいいまの日本人を、どう表現するんだろうと。
少しくらい迷惑をかけあったっていいじゃんじゃないか?
「おたがいさま」という言葉が日本にはあるんだし。
なんてことを元旦の日に思いめぐらしました。
*1:ネクラ:1980年代に流行ったコトバで寝の暗い人。性格の暗い人のことを指していった
最近のコメント