「一億総監視社会」は国民側にでなく新聞社側に対してだった?

 

新聞発行部数=販売部数ではない

新聞の「押し紙問題」を耳にしたことがあるだろうか?

たぶん、あまり知られていないかと思う。知られていればもっと問題になっているはずだし、新聞社のうち、何社かは廃業に追い込まれるほど深刻だから。ではなぜ報じられないか? 新聞各社は、自分たちの都合の悪いことは報道しないという暗黙の了解がある。いわゆる「報道しない自由」というものである。

新聞各社が発行する新聞は、刷り上がった新聞が各販売店に配送され、そこから宅配される。日本新聞協会によれば、新聞販売所の数は全国で約1.6万所、従業員は約30万人(2016年時点)。思いのほか巨大である。だが2001年時点ではそれぞれ約2.2万所、約46万人であった。新聞購読者数が減るにつれ、減少傾向が続いている。ぼくのように、電子版に切り替えた読者も多い。

「押し紙」とは新聞社が販売店に無理やり売りつけている部数のことを言う。購読者が1万世帯しかいない販売所に1万3千部買わせれば、売れる見込みのない3千部は「押し紙」となる。要するに「押しつけている新聞紙」というわけだ。じゃあ販売店は被害者か?と言われると、これがまたビミョーである。販売店は折込チラシ配布も売上げになるが、これもまた新聞配布数に比例する。多いほどチラシ代で儲かるというわけだ。販売店はやまれず受け入れるしかなかった。

ぼくは以前仕事でプロモーションを担当していたとき、新聞広告も利用した。読売新聞や朝日新聞の朝刊全面広告はおよそ1千万円。高価だがネットとは親和性のない層(高齢者など)がターゲットということもあり、しぶしぶ決めた。相乗効果を狙って、区域によっては折込チラシも利用した。見込み客の多そうな世帯にピンポイントで折込を入れてもらうのである。10万部で百万円くらいした。広告はどれだけの人がそれをみてもらえるか、どれだけ認知してもらえるかがコストを払う目的となる。だが、広告費の根拠は発行部数であり、配布部数である。発行部数は朝日新聞の場合450万部。だがこれがはたして読者に読んでもらえているか?チラシを受け取ってもらえているかについてはビッグ・クエスチョンである。

朝日新聞の場合、押し紙の割合は3割あるという。これは2016年3月に、公正取引委員会が朝日新聞社に対し独占禁止法違反にあたると警告を与えたことで暴露された。これが事実なら朝日新聞購読者は450万人などではなく300万人。そもそも発行部数と販売部数には、乖離がある。450万人をあてにして広告費を支払う側にとっては、3割よけいに払わされた!ということになる。または、だまされたふりをしているということになる。まあお互い大人なんだからと。これはまた、折込チラシにしても同じことが言える。販売部数と配布部数にもやはり乖離があるからだ。広告主はここでも架空の数字にお金を払わされている。

 

危うい第三種郵便物認可という特権

問題は他にもある。

新聞はそのほとんどが「第三種郵便物認可」であり、このため郵送料が安く抑えられている。新聞の配布モデルが成立するのもこの料金あってこそである。安くする理由としては「公益性の高い出版物」であるからという。そうかな? と一瞬思う。自分たちの主義主張に合わないからと、または都合が悪いからと「報道しない自由」を行使する一般紙に、公益性があるかどうかは疑問だ。だけどそれを定義することは難しい。ここまでは公益、ここからは非公益という線引きは現実的でないからだ。そこで第三種郵便物として承認するため条件が定められている。

  • 1回の発行部数に対し販売部数を、8割以上とすること
  • 紙面の印刷部分に占める広告を、5割以下にすること

以上がその条件である。また、公職選挙法148条では第三種郵便物であることを前提に「選挙報道」をしてもよいことにしている。

押し紙が3割あることが問題になっている朝日新聞は、これだけで前者はアウトである。後者の「広告面5割以下」についてはビミョーである。10年近く前、朝日新聞紙面に全面広告を掲載してもらった日、効果測定をするためその紙の全面広告を数えてみた。結果は40面中16面。広告はもちろん全面広告だけではない。そのほか5段ぶち抜き広告、3段広告・・1行広告に至るまで記事ページ本体にも広告がまんべんなく配置されている。全部合わせれば印刷部分の5割を広告が占めるのは、ほぼ間違いないのではないか。

違反している場合「日本郵便」は新聞社に対し、詐欺罪で告訴できる。民営化以前は総務省の管轄にあったため、これがうやむやにされた。メディアと官僚は、なにかと癒着があるからだ。官僚に嫌われると取材できないし、官僚にしても都合の悪いことを報道されないよう配慮する必要がある。だが日本郵政が民営化され一部上場企業となったいま、このことは株主がどうどうと指摘できるところである。問題を放置すれば、株主に対する背任行為となるからだ。

 

メディアの支配力が弱る新聞社

いま大手新聞各社は非常に厳しい状況にある。

第一に、新聞購読者が減っていること。いまも売り上げの大半は新聞販売によるものである。それから広告主が厳しく減ってきた。ネット広告と違い、効果測定ができない紙面広告は、費用対効果を重視する広告主には訴求できなくなりつつある。かろうじてイメージ広告は有効だが、源泉となる広告主はメーカーや保険会社など大手に限られる。大手広告主はいま、自らがメディアを持つ傾向にある(DHCなど)。

第二に、メディア支配力が弱くなった。いうまでもなくネットメディアの台頭である。しっかりと裏付けをし現地取材も行い、校閲も何重にもかけられる。そんな大手新聞社は、記事の確からしさにおいて強いアドバンテージがある。けれどもそのための組織を運営するためのコストがバカにならないのである。発行部数が多かろうと少なかろうと、コンテンツにかかる費用は一定である。よって採算割れが起こりやすい構造にある。おまけにマスコミ従事者は年収も高いのだ。収益の源泉は本業とは別の所有土地の不動産に頼らざるを得ないほか、おかしな団体からの資金流入も考えられる。なにかしら政治的意図を持つ反社会的勢力に牛耳られやすい。政治的意図に沿って「報道しない自由」や「反政権活動」を駆使すれば、世論誘導することも容易だった。(加計学園問題における朝日新聞と民進党のタッグもそのひとつ)

しかしこれが、ネット情報によってただちに暴かれるようになった。こうしたやりかたが行きすぎると、ブログやSNSなどで「マスゴミ」などと非難されるようになった。ますます新聞離れに拍車がかかる。そもそも、ひとつの会社が新聞社とテレビ局、ラジオ局を運営できるという日本ならではの特権によりある意味メディア支配網が完成していたが、崩壊しつつある。自分たちは正義の味方として政府や国家を監視していたつもりが、いつのまにか自分たちが国民に監視される側になってしまったのだ。フェイクを載せればすぐにバレるようになってしまった。やりづらいったら、ない。

 

 

以上に加え、
広告主や日本郵政グループから告訴されるようになれば、雪だるま式に「都合の悪い事実」が明るみになっていくのではないか・・・、とぼくはいまからとても心配している。せっかく作り上げた世論形成が台無しになるではないか。安倍一強に拍車がかかってしまうではないか。今年からは、流行語大賞に「日本死ね」とか選びにくくなってしまうのではないか。沖縄米軍基地反対運動が、実は沖縄独立運動だということがバレてしまうではないか。自分たちに都合の悪い法案がどんどん通ってしまうのも、ボディブローのように効いてくる。「アベ政治を許さない」運動だって、どんどん下火に、ゆえに過激になってゆくのではないか。

それは近隣諸国にとっても同様であるに違いない。
おかげで 心配で夜も眠れない。

 

 

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なおきんプロフィール:最初の職場はドイツ。社会人歴の半分を国外で過ごし、日本でサラリーマンを経験。今はフリーの立場でさまざまなビジネスにトライ中。ドイツの永久ビザを持ち、合間を見てはひとり旅にふらっとでるスナフキン的性格を持つ。1995年に初めてホームページを立ち上げ、ブログ歴は10年。時間と場所にとらわれないライフスタイルを めざす。