ラオスにあるルアンパバーン。
人口約6万人の、ラオス唯一の世界遺産の都市である。16世紀までこの国の王都であり、由緒ある80の寺院がある。ルアンは「都」、パバーンは「仏」、聖なる都市のイメージビッタリの名前である。
東南アジアの人たちは概しておしゃべりで、しかも声が大きい。そんな中にあってラオス人はおとなしい人が多く、いくぶん声も小さい。話すときは、いつも笑顔を浮かべている。20年前のタイ人、40年前の日本人はこうだったのかな、という気がする。そんなラオスの中でも、ルアンパバーンの人たちはさらにおとなしく控えめである。
ラオスにとって乾季である1月ということもあって、日中でもからりと晴れあがってとても過ごしやすい。気温こそ30度近くあるが、汗ひとつかかない。いったん陽が落ちれば、むしろ少し肌寒く感じるほどである。標高約300mという山あいの都市、ルアンパバーン。3階以上の建物がほとんどないことから、視界が広く空が高い。見上げると、木々の葉や寺院の尖塔の合間から白い雲がゆったりと移動しているのが見える。
そよそよと風に乗ってやってくる物音はどれも小さい。観光客の靴音、小さく流れるガムランの音。ときおり人々の声が囁くように聞こえる。ほんとうに囁くようにしか聞こえない人々の声。それより大きいのは犬の鳴き声、それでも他の都市より少し控えめな気がする。際立つのはニワトリの鳴き声。コォケコッコォオオオ!一羽が鳴けば、あたりのニワトリが呼応する。小鳥まで反応する。なんだここは?と思う。人よりイヌが、イヌよりニワトリのほうが元気がいいのだ。
朝4時半になるとニワトリに叩き起こされる。
こっちのニワトリが鳴けば、あっちのニワトリが鳴く。いっせいに鳴く。もう眠れたもんじゃない。枕から頭を引きはがし、シャワーを浴びる。部屋を出てフロントを横切り、まだ暗い街に出る。用意された自転車をキコキコこいで、街の中心地へと向かう。お坊さんの托鉢にお供えするためである。
夜明け前の薄明かりの中、低い位置で人の影がもぞもぞとうごく。
その中に紛れ込んで通りに面したゴザの上で正座をし、モチ米のはいった竹のお櫃を抱きかかえて待つ。お坊さんの行列を、待つ。やがて闇にぼおっとオレンジ色の袈裟があらわれ、こちらに向かってやってくるのがみえる。その光景はなかなか幻想的であり、ありがたみがある。位の高い順に列をなし、ひたひたとやってくる。オレンジ色の袈裟から裸足がのびてきた。目を合わせないように、ぼくはおひつの中のコメをひとつかみ、托鉢の中に入れる。いつのまにか観光客(中国人や韓国人)が彼らを取り囲み、写真や動画を撮りながらいっしょに移動していく。ありがたみを奪いながら。
ラオスは中国人観光客が多い。
ルアンパバーンは特に韓国人観光客が多い。ハングルのはいったマイクロバスがあちこちに停車している。ヒュンダイやKIAなど韓国車も目立つ。また、韓国の女性はすぐわかる。顔がのっぺりと白いからだ。流行りなのかもしれないし、ルアンパバーンに来る韓国人だけの特徴かもしれない。そのうちラオスにも慰安婦像を建て始めるかもしれない。各地に1体建つごとに340万円、とある団体に入金されるそうである。
ぼくはカメラを首からぶら下げ、自転車をこぐ。
ときおり走りながら写真を撮る。やぶさめじゃあるまいし、良い子は真似をしないよう願いたい。ふらっとお寺に立ち寄り、また走る。ころあいをみてマッサージ屋に入る。1時間6万キップ(840円)のラオス式マッサージは、タイのそれよりおだやかである。マッサージ師どうしのおしゃべりもなく、とても静かである。冷房もいれないから、安心して肌をさらし横になっていられる。
お寺、自転車、マッサージ・・
ルアンパバーンでは心とカラダが存分に弛緩することができた。メコン川に沈む夕日を眺め、満天の星を眺めた。畑で摘んだばかりの野菜を食べ、淹れたてのコーヒーを飲んだ。特に見るべきところもないのが、何よりである。居るところが見るところのすべてなのだから。
この街に違和感があるとすれば、あまりにも穏やかなことである。そこがまた、いいんだけど。
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