新年あけましておめでとうございます。
年明けのタイミングなので、読書について書こうと思う。
あなたは1年でどのくらい本を読むのだろう? インターネットのおかげで1日で得られる情報は無限大に増えた。ネットメディアが氾濫しすぎて、情報を得るというより、情報を切り捨てる作業のほうが増えた。そのため、本を読む暇なんてますますなくなった、という人も多いのではないだろうか。
フリーになってから自分のための時間が増えた。
意外だったのはネットを見る時間がそれまでより減り、逆に本を読む量が増えたということ。旅先で読むことも多い。1日3冊だって読む。1周間旅に出れば21冊必要になる計算である。それは無理だからKindleに落としてから読む。紙の本ではスーツケースに詰めきれないから、同じ本をKindle用に買うこともある。同じ本なのに、電子で読むと内容が新鮮なのもうれしい。
子供にとって勉強は成長に欠かせないが、大人にとっての勉強は「できなかったことができるようになる」ことが前提だ。そうでなければ学びは、豊かさへとつながらない。本を読むときは「この本によって何ができるようになるか」を決めてから読む。
〜について教養を得るためか? それはなんの役に立てようとするのか? 強くなるためか? 3つの新しい考え方をえるためか・・・といった具合だ。
読破することが目的でなくていい。
むしろリサーチのつもりでいいくらいだ。ぼくの場合も、最初から最後まできっちり完読するケースのほうが少ない。目的の手段にならないとわかった時点で閉じるし、すぐまた次の本に取りかかるからだ。もったいない気がしないでもないけど、実にならない本を読む時間はそれよりさらにもったいない。あらゆる勉強ツールのうち、本ほど安上がりなものもないのだ。そもそも、できなかったことができるようになるために本を開いたのだ。目的に沿えなかったものは、無用の長物である。場所も奪うし時間も奪う。もうしわけないけど。だから間違った出会いをしないよう、買う前に目次はしっかり目を通す。場合によって、1チャプターのためだけに買うこともある。
本で勉強したことはすぐに実践する。大事なのはそこだ。
関連する本を読むのもそうだし、その場所へ足を運ぶ。知り得たことを試してみる。忘れてはいけない箇所は繰り返し読む。頭に詰め込むだけでは無用の長物でしかない。とここまでは、文芸書以外の本のことである。
ぼくは文芸書も読む。5冊に1冊のわりあいで。
ただし勉強というよりは娯楽として。だから映画を観るように読む。表現やコトバの芳醇さを学ぶために読む。さまざまなエンターテイメントがわりとカンタンに楽しめる時代である。その中でも本はやっぱり王道だと思う。必要以上に視覚や聴覚にジャマされるといささか窮屈さを覚えるものだ。本だとそれがない。文字というシンプルさのおかげがあって、ぼくたちは自由にエンターテイメントが楽しめるのだと思う。
概して日本人は読書家である。
どんな僻地にも一定の割合で本屋があり、至るところで本を読んでいる人を見かける・・・と思ったらここ十年、小さな書店はどんどんなくなり、いつしか本よりスマホを手にする人のほうが圧倒的に多くなった。そういう時代なのだ。情報は本でなくても得られる。紙はかさばるし(安いとはいえ)有料である。それはどの国を歩いていても感じるところだ。
ゆえに電車などで本に目を落としている人をみかけると、ちょっとうれしくなる。もちろんスマホで本を読むことはぼくもやってるが、直接LED画面に照らされるより白い紙に反射されるオーガニックな光のほうが疲れにくい。ストレスも和らぐのではないか。肌にも良さそうな気がする。だから美しい人は本を読むのかもしれない。
今年もたくさん本を読めると思うとわくわくする。
そのためだけに遠い場所へ旅をしたくなるほどに。
あなたにとって今年も良い年でありますよう。
そんなぼくは
まだ心をチェンマイに置いたままである。
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