アフリカから帰国して10日以上が経つというのに、まだ頭のなかでセネガルがぬけない。翌朝に残ったアルコールのようにしくしくとした余韻がある。埃っぽいダカール中心街の空気と、澄んだ海辺の続く青い島。あまりにも鮮明に頭にとどまるので、現実とどっちが残像なのか迷うことがある。
このイラ写も、そのうち書けるだろうと高をくくっていたら、更新がこんなにも空いてしまった。帰国してからまだ一度も更新していないことに唖然。自分の一部が、長いフライトの何処かに置き忘れてしまったかのよう。ほんとうにどうかしている。
SDカードに保存されたままの写真を、ようやくパソコンに移した。こんなに放置したのもめずらしい。なにかこう、ひとつひとつの所作が鈍い気がする。身体はいたって健康そのもの。でも、なにか今ひとつ調子が上がらないのだ。寝付きも目覚めも悪くなった。ぼくから寝付きの良さを取ったらなにも残らない。
セネガル人は写真を撮られるのを嫌う。
風景や建物を撮っていると、遠くでなにか言っている人がいる。自分を写したんじゃないか?と文句を言っているのだ。それでこっちへこい、という。撮ったものを見せてみろと。とんでもない!とぼくは言う。はるばる日本から来たんだ。きれいな景色を見れば写真を撮りたくなるのが人情じゃないか。
「ジャポン?」と聞いてなあんだ、という顔を一瞬する。
だがあいかわらずその男はカメラを見せてみろといい、人を撮るなという。おまえなんか撮ってない。ぼくは言い捨て、その場を立ち去る。
ダカールの中心街をカメラを下げて歩く。
衛兵に呼び止められ、カメラを見せてみろといわれる。またこれだ、とうんざりする。時折道に迷う。それでスマホでGoogle Map を開き位置を確認していると、おばさんが通り過ぎざまに「警備兵が呼んでるわよ」とぼくに言う。指差す方向を見ると、やはり警備兵が手招きをしている。スマホもダメなのかよ!とぼくは天を仰ぐ。
たしかにダカールの街角で、大きなカメラをぶら下げている人なんて誰もいない。観光客と思しき人も見当たらない。ただでさえ東洋人は目立つ。「オマエはプロのカメラマンか?」レゲエ風のお兄さんに訊かれる。ただのツーリストだ。と答えると不思議そうに、ぼくが手にしているカメラを見つめている。おかげでダカール市内では一枚も写真を撮らなかった。
かれこれ70カ国以上、世界を旅しているけれど、ここまで写真が撮りづらかったのは、80年代のソビエト連邦以来である。「おもてなしの国」セネガル。撮りたくなるような景色も人もファッションも街にあふれている。欲求不満が募るのだった。
それで逃げるように、人がいない島へ行く。
ダカールは大西洋にのびた半島の、先っぽにある。南に奴隷島で知られるゴレ島。北には小さなンゴール島がある。タクシーで船着き場まで行き、乗り合いボートで島へ向かった。ボートが到着するといちど浅瀬で降り、バシャバシャとはだしで上陸するのが新鮮だった。
島はいい。人が少なく自然が多い。クルマもバイクも走っていない。きっと人も走らないと思う。あるのは、波の音と鳥のさえずりだけ。
島内の地図はない。気ままに歩き、行き止まる。大西洋に出くわすこともある。
トイレの落書きかと思ったら、ただのアートの壁だった。
波のきらめきに揺られ、午後は静かに過ぎていく。しばらくしても1ページもめくられない新聞。女性にとって新聞は、日よけなのかもしれなかった。
2時間もこの調子で海を眺める2人。なんて贅沢なんだろうと思う。
見ていて飽きない海の表情。誘い込まれそうになるくらいブルーだ。
犬は近づき、去っていく。ぼくの存在なんて犬の知ったことではないのだ。
自然派ゲストハウスを経営するオーナー。次来たら泊まっていってよといい顔して笑う。
ダカール市街は目と鼻の先。北朝鮮人たちが造った巨大なモニュメントがそびえたつ。
島の端っこにあるギャラリーで、作ったものを売るアーティスト。自分の彫ったキリンを手にポーズしてみせ、果敢にアタック。「ねえ、めったに客なんてこないんだよ。来ても買わずに帰っちゃうんだ。あんた日本人だろ?中国人ならあきらめるけど。お腹が空いたよ。ほらこのキリン、すごくいいだろう?」などとまくしたてられ、気がつけばキリンはぼくのものになっていた。約1000円。600円といわれ、それじゃ足りないだろう?と多めに払ったのだった。
自宅の机で飼ってます。キリン。触っていると気持ちが穏やかになる。セネガル人そっくりである。
セネガルは一度行ったくらいじゃ、わからない。
少し寝かせてからまた、訪れようと思う。
もちろんカメラは、自宅に置いたままである。
ゴレ島のようすを動画にしました。↓ 御覧ください。