アフリカ大陸の中で西端に位置するセネガル。
さらに大西洋につきでたところに首都ダカールはある。そのせいか、ここは奴隷貿易のための集積地にされてしまった。ヨーロッパ人をして「新大陸」と呼ばせた南北アメリカ大陸。そこで、あまりにも多くの先住民を虐殺してしまったために、開拓するための労働力が足らなくなってしまったのだ。とはいえ、自分たちが労働力になるのはまっぴらゴメンだと、代わりにアフリカ大陸から労働力を補充しようということになった。とはいえ希望者を募ったわけじゃない。ライオンやキリンのように狩りで集められただけである。抵抗するものはもちろん処分された。
奴隷は労働商品であった。
香辛料やコーヒーやタバコなどと交換された。モノと違って脚がついているから、逃げられないようにと、四方を海で囲まれた島に集められた。それがここ、ゴレ島である。大航海時代は奴隷の積出港として、のべ2000万人もアメリカ大陸などへ送られていった。
この地に初めて到達したヨーロッパ人はポルトガル人、1444年のことである。それから19世紀に至るまでオランダ、イギリス、フランスと引き継がれた。実に400年ものあいだ!である。アフリカの大地で生まれ育った黒人たちは、生まれながらにして人間の扱いをされなかった。それが400年もとっかえひっかえ宗主たちによっておこなわれた。
ユネスコ文化遺産に指定されたということもあって、観光客は多い。かつて奴隷たちにムチを振るい、ボロ儲けをした末裔たちもやってくる。自分たちの祖先がそれに加担してないことに安堵しつつ、上陸した。陰惨な歴史とは裏腹に、ほんとうに美しい島である。
悲しいのは、奴隷市場はいまもあるということだ。
また「白人が黒人を奴隷にする」という構造だけでもない。強いものが弱いものを襲い、自由を奪い、人身売買の末に奴隷的苦役に従事させているのは、いまも世界中で起こっている。
木陰のベンチのひとつに腰を下ろし、広場を行き交う人々を飽きず、眺めていた。客寄せの土産物売人以外はここに住む人達はみな無口で、ぼくもまたそのひとりなのだった。
フェリーの汽笛が遠くで鳴っていた。
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