ぼくたちは毎日幾つもの選択をしつつ暮らしている。
多くの選択の中からひとつを選ぶということは、他の選択を捨てるということでもある。10のうちひとつを選び、9を捨てる。選択することで、多くの可能性が失われる。はたして「自分の目に狂いはなかった」のか「やっぱりあっちにしときゃよかった」のか、自分の責任として引き受けねばならない。
こうした積極的選択に対し、消極的な選択というのがある。なりゆきでそうなったとか、誰かに命令されてそうなったというものだ。自分の責任を強く感じないぶん、選択に失敗しても言い訳ができる。自尊感情だって損なわずにすむ。
ぐずぐずと決定を先延ばしにするクセがもしあなたにあるのなら、こうしたことも理由のひとつ。締め切り間際にならないと、お尻に火がつかないと作業に取りかかれない「先送り傾向」については前の記事にも書いたとおりだけど、「自我防衛機制」もこれに関係している。
自分にとって簡単ではない作業、たくさん努力が必要な作業などは、とくに先延ばしてしまう。自我防衛機制はここではたらく。なぜなら、努力をしたにもかかわらずうまくいかなかった場合、自分には能力が足りてない。やってもダメという「真の実力」を白日のもとにさらされるからだ。わざわざ自分に価値が無いことを喧伝してみせるようなもんである。
試験勉強中にゲームがしたくなった。部屋の模様替えをしたくなった。友だちと外で遊びたくなった。という経験がないだろうか?ぼくにはある。明日は試験だというのに、プラモデルが作りたくてしょうがなくなるクセがあった。背徳感も相まって、普段以上に楽しい。
自尊感情を損ねる。自らの能力や価値を下げ、否定をする。だれもが心にもつ自我防衛機制はこれをけんめいに回避する。反射的にかつ無意識に回避行動は、なされていく。
締め切り間際にならないと作業を始めないのは「時間がなかったから」といういいわけを得るためだ。さらには「時間がなくても自分はここまでできるのだ」という自尊心すらも感じ得る。失敗すれば時間のせいにでき、成功すればハンディがあっても自分はできたんだと自慢ができる。
もちろん、こんなものナンセンスである。
作業があるなら先に済ませたほうがずっといい。簡単でなかったり、相当な努力が必要な作業ならなおのことである。時間が味方につく。失敗するなら先に済ませておくほうが効率がいい。試行錯誤が許されるからだ。傷だって浅いし、やり直せる時間もまだある。
自分なんてどうせできないんだから!
などと自暴自棄になるのも、裏を返せば自我防衛機制が働いているということである。負けたくないから勝負しない。いまのままでいい。そういう生き方もある。どう生きようと勝手だが、勝負は避ければ避けるほど負け犬根性が育ってくるものだ。自分のできないことをしようとする人の足をひっぱり、自分のできなかったことができた人を批判してまわる。これまでこういう人たちを、実にたくさん見てきた。あまり楽しそうにない人たちだ。迷惑だし、権利意識ばかりが強い。
自尊心というのはやっかいである。
守ろうとするほど、低下する。自分の将来がどんどん損なわれているのに、自我防衛機制がジャマをして、次々といいわけを産み出すほうへと自分を誘導していく。無意識に。
ぼくもつい、問題や課題を先送りしようとすることがある。めんどくさがり屋である。だけどつくづくうんざりするのは、先延ばしをしているとき、問題や課題は消えてなくなるどころか、常に頭やこころに居座り続け、じわじわと残りのスペースを侵食しているということだ。そんなとき、ぼくがやるのは紙に書き出し、見えるところに張り出すということ。ToDoリストともいう。
ぼんやり心を侵食させておくより、視覚させておくほうが精神的にラクである。人は目に見えると何かしようとする。この場合、早く目の前から消し去りたいという心理が働く。それで、あっという間に作業に取り掛かるのだ。
「なんだ意外にかんたんだったな」
と思うほうが、そう思わないことよりも多い。
ほんとうの自尊心をもちたいなら、手厚く守ったりせずに、すこし手荒にあつかうくらいがちょうどいい。ほんとうに自尊心の強い人は相手の自尊心を敬うが、弱いと引き換えに相手の自尊心を傷つけやすい。やっかいなのは自我防衛機制のほうである。
気をつけよう。
そんな人にも、それから自分にも。
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