1990年のある日
ぼくはドイツで、あるコンピュータ会社に就職した。
そして、2年目には会社でトップセールスマンになっていた。ドイツ語はたどたどしく、コンピュータはそれ以上に知らなかったぼくがである。なぜか?
最初はクレーム処理係
新入社員ということもあり、毎日がJOT(Job on the Training)だった。その上、たいていだれもが嫌がる仕事が回ってくる。お客のクレーム処理係もそのひとつ。おまけに上司がとんでもないショートテンパーで、よく客先でキレては担当者を怒らせていた。鬼のような形相で社に戻り、「なおきん、あとは頼んだぞ」と愛情たっぷりにウインクしてみせる。ぼくは支度をし、謝罪をしに客先へと出かけるのだった。車で片道2時間かかることもあった。
相手はぼくをドイツ語でまくし立てる。ぼくはテーブルの上に両手を組み、それを聴く。言ってることの半分くらいしかわからなかった。ときどき相手の言う単語を反復し、あとはただ傾聴するのみである。気の済むまで、しゃべらせる。それがぼくの仕事だった。100%言うことが理解できれば、たまらず反撃に出ただろう。相手の話を途中でさえぎり、いくつかの責任転嫁について反論すべきだった。けれどもそうすべき適切なドイツ単語をぼくは知らなかったし、腹もたたなかった。痛切な皮肉を理解することも出来ないからだ。だまって相手の、まるで違う生物のようにふくらむ鼻を見つめていた。だがこれが幸いした。相手は喋り尽くすとたいてい満足する。自嘲気味に笑顔すら浮かべる。ぼくは前に組んだ手を解き、最後は相手と握手をして別れる。
遠路戻ってきたぼくを、上司は感心しながら迎えてくれた。かの契約は継続され、さらに新規導入に必要なシステムの見積もり依頼がきたとのことだった。
自己保存こそ人間のもっとも強い衝動である
頭ごなしに「あなたの考えはおかしい」といわれれば誰だって怒る。自分を否定した考え方がどんなに素晴らしくても、押し付けられれば、相手はこころを閉ざすまでである。自尊心を守ることは、人間のもっとも強い衝動である自己保存のひとつである。
ドイツ語でろくに反論ができないことが幸いし、相手の意見をさえぎることなく、洗いざらい話させることができた。また、コンピュータについてもお客のほうが詳しかったので、感心ながら聞けたのも幸いしたかもしれない。ぼくにも言うべき意見があったが、その前に相手の話をじっくり聞くことに専念できた。理解するのがやっとだったからである。それでも相手が興奮冷めやらないときには、同じことをこんどは要点をまとめて話してもらうよう示唆した。(たいてい同じことを3回は言う)
絶対に相手の自尊心を傷つけない
こうして相手がしゃべりきったあとで、咀嚼するよう二呼吸ほど間をおき、「私が間違っているかもしれませんが、」とようやく自分の意見を述べることにしていた。こちらからの主張はごく控えめにするほうが、相手の自尊心を傷つけずにすむのだ。ドイツ語のボキャブラリーが少ないことも、それに寄与したかもしれない。
会社のシステムを請け負っている担当者が、おおかたぼくの売り込み相手であった。彼らは概して自己主張が強く、いかに自分がシステムに詳しいかを誇示したくて仕方のない人たちである。予断はない。それが社内における存在証明でもあるからだ。そんな人たちを相手に上司がキレるのもわからなくもないが、それが相対し、お客は他でもなくぼくに注文をよこすのだった。他社のお客さんを紹介してくれることもあった。巡り巡ってフランスやスイスから注文が入った。ぼくはデモ用コンピュータを車に積み、アクセルを踏み込んでお客のもとに参上した。
欠点は利用するためにある
ドイツ語とコンピュータの知識が足らない・・
ひどい営業マンである。どちらも致命的な欠点である。だがそれが幸いし、トップがとれた。
欠点はかくすものではない、利用するものだ
作家、宇野千代が残した言葉である。
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