このごろ、久しぶりな人にあうたびに「仕事辞めたんだって?」「気楽でいいよなあ」などと言われる。そのとおりである。もしくは、そのとおりでないかもしれない。
ひとは誰しも「快適さ」を求める。または過大評価する。最大の関心事は「いかに快適に過ごすか」である。わざわざ「不快になるよう」努力したりはしない。だからあなたのいる場所は、たいてい快適ゾーンであるはずだ。「バカ言っちゃいけない、ここのどこが快適ゾーンなのだ?」と反論するひとも中にはいるだろうけど、おそらくそれは他人へのあてこすりである。または、成長しようとしている人である。
ぼくが会社を辞めたとき、周囲には「卒業した」と伝えた。つまり、今までのゾーンから次のゾーンへ成長するために、いくばくかの行動を起こしたつもりでいる。過去にもそうやってきた。なにか新しいことを始めるとき、ゆったり快適にひたれるだろうか? 否。どちらかといえば逆である。まずもって、不安を感じる。もう二度ともとの場所には戻れないのだという絶望感。きっとお金がなくて生活に苦しむだろうし、この先なにがあるかまったく検討もつかない。といった不安でいっぱいになる。
くり返すけれど、ひとは誰しも快適さを求める。快適さを追い求める。リスクを避け、安心したいと願う。そのために変化を恐れ、せっかくこしらえた快適な場所にしがみつく。快適ゾーンを固辞しようとする。新しいことを試したいとも思わないし、変わりたくないと思う。日本には「お変わりないですか?」と挨拶を交わす習慣があるように、変わることはよくないことであり、恐怖そのものである。まわりにも出しぬいてほしくない。同調圧力もあって然りである。
ぼくはいま「快適ゾーン」を抜けだして「不快ゾーン」にいる。不安のまっただ中にいる。快適な眠りから無理やり起こされ、丈の合わない服に着替えさせられ、家の外へ放り出された気分である。でもぼくは知っている。人間は成長しようとするとき、一時的に不快になるものだ。資金ゼロから、たった二年半で億万長者になったハーブ・エッカー氏も言っている。
快適さこそが人生最大の目的だと思っているひとは、決して金持ちになれないし、幸せにもなれない。〜『ミリオネア・マインド【ハーブ・エッカー】』〜
金持ちは、だからそうでないひとよりずっと少ないのだろうと思う。だれも好き好んで自分を、快適さから遠のけたりはしないのだ。ぼくは自由を何よりも大切にしたいと思っているけれど、自由であることは必ずしも快適ではない。むしろ自由でいることは困難が伴いもする。時間からの自由、場所からの自由、お金からの自由、どれもが困難を伴う。3つ同時に自由でないとまったく意味が無いと思うから、事態はさらに困難である。
正直に言って自由は快適でないし、安全でもない。
どちらかといえばぬるま湯につかり、あちこち指でさしながら、ああでもない、こうでもないといっているほうが、ずっと楽だし安全である。
でもそんな生活は幸せとはいえない。
成長し続けるためには、あえて「不快ゾーン」へ足を踏み入れ、持てる脳力を最大限活かしながら、生きていくしかないのだ。不安に押しつぶされそうになっても、時が過ぎ身体がそれに慣れるまでガマンするしかない。
気楽そうにみえて、案外そうでないのです。
そんななおきんを、そっとしておいてやってください。
以上、途中報告でした。
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