はじめて働いた場所はドイツ。
このことがその後のぼくの人生を大きく変えてしまった。まだ何色にでも染まる20歳そこそこの若造が異国で働き、異国の人と過ごし、外国人として生活するというのは、毎日がとても刺激に満ちている。なにもかもが新鮮で、同時にそれまであたりまえだった常識が裏切られ、とまどい、そのこと自体が楽しくなる。そして少なからず影響を受けていく。
ドイツで休暇1周間は短いほう
ごくふつうのドイツ人たちは夏に3週間、冬に2週間、春か秋に1周間ほど休暇を取る。6週間まとめてとるひともいるし、中には2ヶ月毎に1週間ずつ分けて休む人もいる。ドイツ人にとって「1週間の休暇」というのは短いほうだ。旅行代理店の窓口では「せっかくギリシャに行くのに、1周間じゃ短くてろくなプランがないわね」などと言われる。パッケージツアーでもっとも種類が豊富なのは2〜3週間コース。1日あたりの価格もとても低く設定されていた。そんな休暇を毎年、毎シーズンとるドイツ人。働けよ!と思う。だがドイツ人はちゃんと働くのだ。その結果が、ヨーロッパ最大の経済大国である。
例えば業務中、取引先の担当者、オリバーに電話をかければ、「休暇中で3週間後に戻ってきます」などと、電話口でふつうに言われる。だから3週間後にかけ直してくださいと。ちょっと日本では考えられない。3週間どころか、1日休んでいたとしても「◯◯は席を外しており、明日戻ります」となる。なぜか、休んでいることすら相手に伝えない。会社の評判が下がるからである。
フランスにおいてもドイツと事情は変わらない。
夏場にメールを送れば、自動的に「緊急の場合はこちらへどうぞ」と定型メールが返信される。だからといって電話をしてもムダである。コート・ダジュールかどこかの海岸で寝そべるボトレル氏が、納期が遅れている問題について直ちに解決するとは思えないからだ。諦めて別の方法を考えるしかない。そもそも他人の休暇に合わせて、あらかじめ商品をストックしておくべきだったのだ。困るのはぼくでボトレル氏ではない。このようなコンセンサスが、夏のヨーロッパにはできあがる。
日本人だって本当は休みたがっている
思えば日本人に1ヶ月も夏休みをとった経験はあるのだろうか?
大人になってからはもちろん、ない。とれば自分の席はなくなると、本気で思う。3日もとれば罪悪感で心を病み、休んでいても休んだ気がしないいう人もいる。そういえば小学生にさかのぼっても夏休みは1ヶ月なかった。塾や夏期講習、バイトや宿題に追われた。今どき、まるまる1ヶ月以上バカンスを取る生徒のほうがめずらしい。
だのにぼくはサラリーマン時代においても許される限り「夏休み」をとっていた。長くて10日、短くて3日。会社を経営していたときはそうもいかなかったが、従業員なら有給でいける。休暇のほとんどを旅に使った。これもドイツで暮らした影響である。ドイツ人の旅行好きはギネスブックものである。学生は数年大学を休んで世界を旅をするお国柄だ。
だが日本においては休みを取ることに、罪悪感を感じることになる。このことが自分にとってまず新鮮だった。まるで犯罪者のように扱われることもある。はじめこそ理解できなかったぼくも、しだいにそれがわかってきた。休みたいのだが、自分だけ休むことに引け目を感じるのである。
おもしろい意識調査がある。
今の労働勤務時間に満足しているか?
日本 : 満足 42%
(調査「ランスタッドアワード2016」)
日本では半数以上のひとが勤務時間に対し、何らかの不満を持つ。そのうえ「給料が減ってもいいから労働勤務時間を減らしたい」と答えたひとは14%、世界平均の6%を大きく上回る。他を圧倒している。ちなみにアメリカやフランス、ロシアなどは5%以下しかない。休みたいのに休めない。それで「給料が減ってもいいから」と考える日本人が、世界平均の倍以上いるというわけだ。これには驚いたが、すこし考えてみればちっとも驚けない。
日本人の1時間あたりGDPは世界平均以下だった!?
ひとはなんのために働くのだろう?
自己実現? 金儲け? 世のため人のため? みんながそうするから?借金を返すため? これだけ拘束され、働いているからこそ日本は世界に冠たる経済大国であり、ゆえに日本人は尊敬され、日本製品は世界を席巻しているのだ。たとえ時間はなくとも経済的にゆとりがあるから、世界でも日本人は裕福でいられる。きっとそうにちがいない! というひともいる。それが事実なら、救われる。だが実態はそうではない。実感がないはずだ。
そのことはデータを見てもわかる。以下は「勤務1時間あたりGDP世界ランキング」だが、日本は約40USドルで世界第20位。世界平均45US$よりも低い。
あれだけたっぷり休暇を取るドイツ人やフランス人のほうが、日本人より稼いでいるではないか。ドイツなどで働いていたとき、ぼくは夕方仕事があがると自宅に戻り、ふたたび街に出ていた。ライン川のほとりを散歩をし、途中映画を観たり、友人宅へ立ち寄って夕食をごちそうになった。夏はスイミングプール、冬はスケートへと定期的に通い、バーで知り合ったひとと語り合った。通勤時間に徒歩15分しかかからなかったということもあるが、ぼくと同じような生活を、いやそれよりの多くのことをドイツ人たちは勤務後にやっていた。そのうえ完全週休二日制、プラス夏3週間、冬2週間の休暇にくわえ、季節の変わり目に3〜4日の連休である。
それで、ドイツやフランスのほうが給料が低いというのならわかる。だが低いのは日本のほうだ。つまり労働生産性が悪いということである。それがどうした?長く働くのが楽しくてしかたない、というひともいるかもしれない。だが最初の意識調査のように、日本人は世界でも「給料が減ってもいいから勤務時間を減らしたい」と思うひとの多い国である。大半の人の本音は休みたい。でも働いている。しかも働いただけ稼げてない。というのが実態だ。
もちろん日本は世界有数の経済大国である。
所得も世界平均の何倍も多い。じゃあ、それだけ豊かなんだろうか?と自問すれば答えに窮する。休みたいのに我慢して働き、しかも休んでいるひとたちより稼げてないのだ。そこで人生カネじゃないからね、とひとりごちる。だけど思う。時間はどうなのだ? 一旦生まれてしまえば、ぼくたちには死ぬまでの時間しかない。それは常に減り続ける。金は増やせても、時間は増やせないのだ。ちょっと3年分よぶんにちょうだい。と言っても、誰もくれない。身体だってガタがくる。人生後半に向かうにつれ、しだいに回復しにくくなる。
限りある自由な時間と自由なカラダ
有限なのは、自由な時間と自由なカラダ。
もっとも大事に、ていねいに使わなくちゃならないのはそれである。わざわざ自分から自由な時間を減らしたり、カラダをすり減らしてはいけないのだ。価値の低い長時間労働をすることは、自分にとって、自分の大事な人にとって罪である。
まあ、現状を変えると今よりひどいことになるかもしれないしね。と、大半の人はいう。そうしてあいかわらず自由な時間を減らし、カラダをすり減らすことに不感症のままでいようとする。または周囲を見渡し、みんなそうやっているじゃない、と言い聞かせる。だとしたら、そもそも見渡している周囲が狭すぎる。
いまのままでいると一年後、
自分はどうなっていると思いますか?
1年後の自分。そんな自分にどうか
前より良くなったと思えるための行動を。
最近のコメント