新しい商品を買うと必ずついてくる取扱説明書。
たとえばデジタルカメラには、こんなに分厚い冊子が同梱されている。読む気も起きないが、読まなければ操作のしかたがわからない。あるいはうっかり壊してしまうかもしれない。だからいやいやながらもそれを手に取り読み始める。といったことがあなたにもあるかもしれない。
今もていねいに取扱説明書を読む人は少数派かもしれない。操作は直感的であり、わからなければ聞けばいい。世の中にある製品はたいてい誰かがすでに使っていて、頼まれもしないのにていねいにWEBに書き込んでくれている。動画で使い方を説明している人もいる。
Apple製品のように、マニュアルそのものが同梱されていないのもある。スイッチ類が少なく、操作が直感的でわかりやすい。パッケージもよく考えられていて、「開梱の儀式」と題して、世界中から動画がアップされていたりもする。
むかしに比べ、いまのほうがずっと複雑で高度な製品が、そんなことは微塵も感じさせず、すぐに使えるようになっているのは、アフォーダンスがとても意識されて設計されているからである。アフォーダンス? あまり耳慣れないかもしれない。だったら、知っておこう。なんにせよ、人とモノの接点には必ず存在し、あなたを助けてくれるからだ。
アフォーダンスは、アフォード(afford=与える・提供する)とダンス(dance=動き・行動)からなる言葉。直訳すれば「動きを与える」、つまりモノのかたちがどう使えばいいのかを教えてくれる、ということである。
例えばドアノブ。
右に回せば開く。横レバータイプのものなら下に下げれば開くことを、説明されていなくてもぼくたちは直感でやっている。事実、それがちゃんと開く。突起があれば押したくなり、まるい穴のついたカゴが置いてあれば缶やペットボトルを捨てたくなる。
iPhoneを持っている人の中で、マニュアルをキチンと読んだ人がいるだろうか? いつの間にか使えていた、ということはないだろうか。ぼくは個人的にAndroidスマホを使ったことがあったが、操作に戸惑ったこともあり、使わなくなった経験がある。iPhoneに慣れると、同じスマホでもかえって使いにくくなることもあるのだろうか。
アフォーダンスで大事なのは「どう使って欲しいか?」を、説明ではなく、見れば自然と使えるように、またはそうなるようデザインすることである。1列に並んで欲しければ、ロープを人の肩幅に合わせて配置するし、座って欲しい場所なら膝の高さに平面を作ればいい。「ここはベンチです。お座りください」と看板を立てる必要もない。逆に座ってほしくなければ、台を平面でなく傾斜にするか、表面に凹凸を作ればいい。
アフォーダンスはまたコミュニケーションでもある。
相手にどうして欲しいのか?
相手にどうして欲しくなかったか?
そのためのデザインやレイアウト、またはあなたの態度に至るまでさまざまなシーンでアフォーダンスの考えは使える。人間は侮辱されることを嫌う。また、長い説明を避ける傾向がある。小言や説明ではなく、それと察してもらうようデザインで解決できることは多い。
コミュニケーションの下手な人というのは、理由のひとつに、行動や態度にアフォーダンスの観点が欠けているからでもある。相手に何かを求めるとき、つい説明に入ったり、小言になったり、ときおり感情にまかせて声を荒げたりしていないだろうか。説明には説明が、小言に対しては小言が、感情に対しては感情が、それぞれ相手ももよおすものである。それは望んだ結果ではないはずだ。
まずアフォーダンスでできることはないか、
そのひとことをぶつける前に、一考できないだろうか。
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