2016年も日本が長寿ランキング世界一に
先日、世界の平均寿命ランキング(WHO世界保健統計2016年版)が発表された。男女合わせた平均年齢の世界一はやはり日本で、83.7歳。以下、スイス、シンガポール、オーストラリアと続く。ただし男性に限れば日本は80.5歳、イタリアと並んで第6位とある。10年前は78歳だったから、2年ほど伸びた。
かつては、だれもが長生きしたい、と言った。いまは、それがかえって不安という人が多い。若い世代を中心にである。いい若いもんが老後の心配などしおって!とおじさんは思う。だがその不安はある意味正しい。2015年度の税収はややもちなおし、50兆円を少し超えた。だがこの税収の使いみちの大半は、高齢者の医療、介護、年金の支払に消える。
高齢者は「わしの年金は、自分が若い時から払い続けたカネを受けとってるだけじゃ」と思っている。だが、僭越ながらこれは大まちがいである。いまの年金制度は、日本人の平均寿命が60代前半だったころに作られたもので、過半数の高齢者が80歳以上生きる事態を想定していない。そんな金額じゃぜんぜん足りないのだ。
長寿ゆえに不安な国
想定外のぶんは、現役世代が払う年金掛け金や税金で補填している。言いかえれば現役世代が将来に使うお金を潰して、いまの高齢者に手渡しているというわけだ。日本は、いわば世界でもっとも高齢者が優遇されている国。ここまで税金を若い世代ではなく、高齢者に配分している国もめずらしい。
本来、年金支給額は財源に合わせて減らす必要があった。年金積立は戦後まもなく崩壊した。以降は現役世代の給料や収入から徴収し、いまの高齢者に支給する賦課(ふか)方式に切り替えている。2015年度は受給者約4千万人に対し、56兆円もの年金が支払われた。受給者はしばらく増えるいっぽうだから年金額も応じて増える。それで2004年から毎年1%ずつ、現役世代から掛け金を増やしていった。やりかたが絶妙である。消費税だと3%増やしただけで、あれだけ消費マインドを冷やされる。それが年金ならば、10年かけて10%増やされようとも、だれも文句をいわない。
デフレで給料が減り、増税で手取りがさらに目減りした。年金の掛け金が少しぐらい上がったところで、気づかれなかったかもしれない。メディアの扱いも淡白であった。親の世代を思えば、高齢者もたいへんなのだと納得する。けれども自分が年金を受け取るころは、もっと大変だろうことを見落としている。30年後の年金受給額は、いまの2割減というのが大方の予想だからだ。
つまり単身高齢者の
- 厚生年金受給額 14万円 → 30年後予想 11万円
- 国民年金受給額 6万円 → 30年後予想 5万円
払う人が減り、受給者が増えるのだからやむをえないのだろう。
しかも支給開始年齢は70歳以上に引き上げられ、寿命は伸びても支給期間は短くなる。それだけでも受給総額は減る。これで暮らしていけるんだろうか?懸念はもっともである。 厚生年金受給者ならギリギリで、国民年金だけの人はまず無理である。ちなみに2015年度の国民年金保険のみの受給者は800万人。
実に月額6万円で暮らす人がこの国に800万人もいる。10年後は、20年後はさらに増えるだろう。 非正規労働者の割合が増えているからだ。1千万人を超え、2千万人に迫るかもしれない。そのとき、社会はどうなるのか。若い人でなくても不安になる。
国は「文化的な最低限度の生活」を13万円とした。全世帯の平均月収26万円の半額だからだ。それでこの13万円を生活保護支給額と決めた。そのうえ医療費や社会保険負担もタダである。これだけで、国民年金受給者の2倍以上ある。この事態を、国は見捨てるわけにいかない。それで金持ちや現役世代からもっと金を排出させ、せっせと高齢者と貧困者に振りわけようとするだろう。富裕層は耐えられず税金の安い国へ逃げ、税収のドル箱が減って現役世代はますます生活に苦しむ。おかげで貧困者はさらに増えつづけ、やがて生活保護受給者へと転落する。
言いにくいことを言えば、いまの高齢者は年金をもらい過ぎである。2004年に決めた「マクロ経済スライド」を適用すれば、デフレ基調できた過去十数年もの間、年金支給額は引き下げなくちゃならないところを、むしろ結果的に0.9%引き上げてしまった。高齢者の年金が高止まりしたことで、年金財政は悪化。将来のことなどなにも考えていない。
いまの高齢者は年金をもらいすぎ?
なぜこんなことが起こったか?
選挙の票田を高齢者に頼っていることも理由のひとつである。政治家と官僚が、現在の高齢者を敵に回したくない。というか、自分たちが高齢者だったりもするから既得権益を失いたくない。世代別投票率を見てもわかるように、高齢者ほど積極的に政治に参加している。老人の権利を主張する政治集団まである。彼ら高齢者の権利を少しでも奪う政策を掲げる政治家がいれば、まっさきに落選というわけだ。「選挙落ちればただのひと」、だから市会議員も国会議員も老人が恐ろしくてしかたがない。それでさらなる分配を高齢者に施し、そのしわ寄せで若い世代の子育て予算などが削られる。少子化はまったくの自然現象でないことがわかる。
前の参院選から投票権を18歳まで下げた。朗報である。
18歳じゃまだ未熟だ、政治的判断をする基礎知識が足りないと、下馬評も多かった。だが世界は18歳が標準。先日訪れたキューバなどは15歳から選挙権がある。それに18歳を未熟というなら認知症はどうなのか? 認知症になり判断力が失われても、選挙権は失われない。それで一部の政治グループは、高齢者を集めて投票の練習をさせ、バスで投票所に送り迎えして自分たちの支持する候補者の名前を書かせている。民主主義を笑いたくなるのはそんな時だ。
18歳に選挙権を下げたことで増えた有権者は240万人という。いっぽうで認知症患者は500万人を超え、30年もすれば1千万人を超える。数の上では勝負にならない。これから何十年も生きる人たちの票が、あと数年生きられるかどうかの人たちの票に食われる。言い方が下品で申しわけないけど、この現実は悲しすぎるではないか。
高齢者はある年齢に達したら選挙権を返還する
そこでぼくが主張しているのが、高齢者から選挙権を返還してもらうこと。車の免許証でもやるが、あれを選挙権でもやるのだ。後期高齢者をひとつの基準とし、選挙権は当面18歳〜74歳までとする。認知症にかかり、判断がおぼつかないようであれば、さらに下げるでもいい。「おまえは民主主義の敵だ!」と言われそうである。高齢化社会というのは、それ自体、国の衰退である。これを食い止め、成長させていくにはそれなりの政策が必要だ。政策によっては、高齢者を敵に回すこともあるだろう。政治家が、彼らを恐れなくてもすむよう、思い切ったルールが必要なのではないか。やるとなれば憲法解釈の変更が必要だ。簡単ではない。だが国の衰退のほうが心配である。
これからますます高齢者の自立が求められる。
70を過ぎても経済活動がおこなえるよう、制度や支援を合わせる必要がある。「死ぬまで働かされるのか?」と思うのは早い。年金以外に死ぬまで収益を得る方法なら、他にいくらでも見つけられるのがいまの世の中である。AIの発達しだいでは、さらに労働対価でない方法で所得を保有しやすくなる。(以下は20年後のイメージ)
高齢者A = 労働所得5 + 不労所得0 + 年金5 = 月額 15万円/人〜
高齢者B = 労働所得2 + 不労所得3 + 年金5 = 月額 30万円/人〜
高齢者C = 労働所得1 + 不労所得9 + 年金0 = 月額 100万円/人〜
これからの高齢者は、A、B、C、いずれかになるのではないかと思う。典型的なサラリーマンのままではA. のパターン。何らかの不労所得となる資産を形成することで、Bのパターンを選ぶ。願わくばC.。資産からのキャッシュフローだけで暮らせるよう副業や起業するなどいまから準備し、年金ではなく不労所得で暮らす。不労所得は悪くない。とくに高齢者にとっては。
対策は自立した高齢者を増やすこと
政府が支援すべきは、こうした自立できる高齢者を育めるようにすることだと思う。金持ち憎しで、国は相続税やキャピタルゲイン税を徴収するが、そこは減税または無税とし、投資リターンを活性化させるほうが、結局は消費活動も活性化するから税収も上がる。また、これからの高齢者が不労所得だけで暮らしていきやすい環境にもなる。年金に頼らずとも暮らせる高齢者をどれだけ創出するか、これは少子高齢化社会において要となる。 ひいては海外からの富裕層を誘致するきっかけにもなると思うのだけど。
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