ジョン・レノンをして「世界で一番格好いい」と言わせたチェ・ゲバラ。言わずと知れたキューバ革命の英雄。彼の顔がプリントされたTシャツは、いまも世界中の土産物屋に並ぶ。
1959年、カストロとともにキューバ革命を成功させたチェ・ゲバラは、キューバ人ではなくアルゼンチンで生まれた。「チェ」も本名ではなく、いわばあだ名。「やあ!」という意味の、ちょっと親しく呼びかけるときにつかわれる南米特有の方言である。
ゲバラは俳優のようにハンサムだが、ジョン・レノンが彼をカッコイイというのは、生きざまである。裕福な家庭に生まれ、成績も優秀。大学6年分のカリキュラムを3年で終え、医師となる。将来は約束されたようなものだ。だが彼はただの医師になろうとしなかった。
彼を変えたのは、在学中に親友と旅をしたことだった。国内も他の南米諸国も、人々は貧しく、また貧富の差は激しかった。それを自分の目で見て、ゲバラは思う。
飢えや貧困を救うには注射だけでは不十分だ。社会の構造を根本から改革しないといけない。病人の治療より重要なのは、病人を出さないための社会システムだ。
まだハタチそこそこの青年ゲバラである。
当時のアルゼンチンはペロンという、舐めた名前の軍事独裁者が政権についていた。自分の理想とかけ離れた、こんな政権に加担したくないと国軍の軍医のオファーを蹴り、アルゼンチンを脱出した。ゲバラはその後、社会主義国になったばかりのグアテマラのグスマン大統領に傾倒し、これをひとつのロールモデルとした。グスマンは動物のような扱いを受けていたインディオたちに土地を与え、自前の畑をもたせたという。
裏庭に社会主義政権が成功を収められてはアメリカは面白くない。冷戦時代だったのだ。さっそくCIAを送り込み、グスマン政権を転覆させた。これが長きにわたるグアテマラの政情不安と内戦の原因である。ゲバラはなりゆきを目の当たりにし、ラテンアメリカの革命のために身を投じることを決意する。奥さんも革命家だった。革命家は掃討される運命にあり、ゲバラはメキシコに逃げる。そこで出会ったのが亡命キューバ人、フィデル・カストロだった。
1950年当時のキューバは完全にアメリカの属国。土地やインフラはすべてアメリカに吸収されていた。おまけに国内はマフィアが暗躍、人々は圧政とマフィアの脅しのはざまで暮らしていた。キューバをグアテマラのようにさせてはならない。ゲバラは決心し、カストロたちとともにメキシコからボートでキューバに上陸、暴力革命を起こす。
ゲバラは軍医として活動したが、治療は味方だけでなく、敵の兵士までも行なった。彼は医師の使命としてそうしたが、結果的に敵軍(キューバ政府軍)兵士をも魅了した。民衆もゲバラを支持した。圧倒的に劣勢の革命軍は、政府軍を打ち負かし、キューバ革命は成功。ゲバラには市民権が付与され、新キューバ政府の閣僚のひとりとなった。
今もキューバは医療と教育は高い水準にあるが、無料。これは革命時からのゲバラたちの功績である。革命後は社会福祉事業を無料化し、財源を人々の献身的な労働によって補おうとした。ゲバラは政務のほかは自ら工場で働き、道路の土運びなどをした。
だがゲバラは理想が高すぎた。それでソ連を怒らせ、カストロとも袂を分かつことになる。ゲバラにとってキューバの革命はきっかけのひとつである。本気で世界を変えようとしていたのだ。政府要職から身を引き、アフリカのコンゴに渡り、キューバと同じことをしようとした。がこれに失望。南米に戻り、その後ボリビアで捉えられ銃殺された。1967年、39歳であった。
時代の変遷あれば、そのときどきで英雄だった人物の評価も変わる。ナポレオン然り、ヒトラー然り。織田信長然り。ゲバラもそうだろうか?
明日死ぬとしたら、生き方が変わるのか?
あなたの生き方は、いったいどれくらい生きるつもりの生き方なんだい?
ボリビアに渡る前に残した ゲバラのことばである。
出典 : howsyourrevolution.wordpress.com
変わらなかったキューバの
これからいったい何が変わるのか?
明日 キューバに発つ。
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