28年前、ぼくはセブ島で暮らしていた。
1988年当時のフィリピンはまだ貧しく、さらに政変などで政情は不安定だった。そのため他のASEAN諸国からみてもフィリピンは劣等生で、庶民の暮らしぶりは貧しく、街は排気ガスとゴミの臭いがひどかった。ただ子どもたちや女達の笑顔は良かった。バブルまっただ中の日本人から見てもうらやましいほどのまぶしい笑顔である。
セブ島で豪遊するぼくを拳銃で脅すヤクザ
給料を日本円でもらっていたぼくは、物価が日本の10分の1しかないフィリピン生活は天国だった。「大統領のように働き、王様のように遊べ」という当時流行ったCM。まさにあれである。給料は駐在手当と合わせて手取りで35万円あった。現地の価値に置きかえれば300万円ぶんである。不相応なお金は人間を狂わす。たしかにぼくは狂っていた。
セブでは毎晩のように遊び回った。高級レストランをはしごし、飲み屋をはしごした。花売り娘が抱えた花をすべて買い、店に居合わせた知らない客に配ったりした。いっぽうで貧しいフィリピン人をどこか小馬鹿にしていた。いい大人が仕事もしないでぶらぷらしやがって、と。高級ホテルに泊まり、タクシーをチャーターして豪遊した。フィリピン全土で軍事クーデターが起こったのは、そんなときだった。自由は制約されたが、おかまいなしに遊んだ。空港も占拠されたから、どうせ帰国もままならない。そんな折、ナカオウジという日本人駐在員がフィリピンで誘拐され、切り取られた指が送られたという事件があった。あいつに違いない!と大騒ぎになったが(名前が似ていたため)、そんなこと知る由もなく遊んでいた。
当時セブ島には、現地の女の子を仕入れるため日本のヤクザも住んでいた。そこへ若い日本人がハメを外しているとなれば、かなり目障りだったに違いない。マンゴーアヴェニューにある飲み屋である日、出会い頭にどつかれた。まるで映画のシーンのように雄叫びをあげられたときは心底震えたが、懲りずに遊びに出ていた。若さとは春の大雪山のようである。ある日女の子とデュエットしているとき、とつぜんの大きな音に驚き、マイクスタンドごとひっくりかえる。知らなかったがその女の子はヤクザの妾であった。生まれて初めてホンモノのチャカ(拳銃)を見たのもこのときだった。
年配のスタッフの月給は1万円
駐在事務所の現地スタッフの給料は、毎月ぼくが現金で手渡した。みな銀行口座など持っていなかったのである。自動小銃をもったセキュリティガードマンが見守る中、ものものしくそれは行われた。ありがたそうにスタッフが受け取る月給は、わずか1万円。マネージャークラスでだ。これで自分と家族を養う。その金額は、ぼくが一晩で使うより安かったかもしれない。彼はぼくよりずっと年上で、ぼくよりはるかに能力が高かった。大して英語もうまくないぼくに、会話中そっと正しい英語に言い換えて反復してくれもした。食堂でぼくが手をつけるまで食べるのを待つのも彼なら、遅くまで残業するぼくを、付き合って待ってくれたのも彼だった。夜半、事務所にひとりでいるのは危険だからだ。
だのに月給一万円。いったいこれはなんなのだ?
彼とぼくのいったい何が違うのか? 能力? 彼のほうが上だ。年齢? これも彼が上である。ぼくが優っているのは日本語くらいじゃないか。ここはフィリピンで、ぼくは外国人。なんで本国人より優遇されているのか? 果たしてこの優遇に意味があるのか? 根拠もないものに奢っている自分はいったいナニサマか?
彼のようにぼくもこの国に生まれ、同じような仕事をしていれば、やはり月給は1万円だったはずだ。いや、もっと低かったかもしれない。オフィスビルを警備するガードマンは月給5000円程度。せいぜいそのくらいなのではないか。
収入や暮らしのレベルはその人が持つ実力や能力次第だけではない。どうしても生まれ育った国や環境に左右されるものだ。むしろそちらの影響が強いのではないか。それが日本、ドイツ、フィリピンとこれまで暮らして感じた、素朴な感想だった。
恥を知れ自分
人は生まれる場所と時間を選べない。
そう考え始めたのも思えばこの時からだった。ぼくはたまたま戦後の日本に生まれた。たまたまである。ということはフィリピンに生まれる可能性も同じくらいあったのだ。カンボジアで生まれる可能性もあれば、スペインで生まれる可能性もあった。ジンバブエで育つ可能性も同じくらいあった。大学を出れば初任給で18万円近くもらえる日本。たかが月給18万円。そう考えるのも自由だが、地球上では「年収が18万円以下」の国のほうが多い。同時にこうした国で生まれる確率のほうがずっと多い。
ぼくたちは、ほんとうにギリギリのラインであっち側だったり、こっち側だったりする。生まれた場所を離れてみれば、いかに幸運だったかがわかる。ドイツで暮らしていた時は、現地のドイツ人より自分のほうが給料が少なかった。あたりまえだ。こちらは駆け出しの若造。ませてはいたが、ろくに仕事も出来やしない。それがフィリピンに来てみればこのアリサマだ。恥を知れ自分。 ぼくが彼だとして、外国から来たろくにこの国のことも知らない若造が、同じオフィスに勤めながら自分の30倍の給料をもらっている。そんな事実をどうとらえるんだろうか?
日本に比べ物価が安い国もある。
だが思う。ほんとうに安いのか?
ぼくらはもっと謙虚に考える必要がある。
レストランで日本の3分の1でご飯が食べられた。ありがたい。だがそこで暮らす人の収入は日本人の10分の1だとすれば、3倍の値段だ。ふだん600円以内でランチを済ます人にとって、1800円は異常に高い。この値段は庶民にとってどうなのか? いろんな国を旅するとき、思うのはそのことだ。そこで暮らす息子として、父親として、都市生活者として、農民として自分をおいてみる。どんな暮らしぶりだろうか?
ぼくにとってその国の平均賃金を意識し、この1食が月給の何割なのかを意識するのはすごく自然なことである。旅に出ると謙虚になれるというのはほんとうだ。「自分がもしこの国で生まれていたなら」と思いを馳せるだけで、行く先々でいちいち尊大になったり、はたまた卑屈にならないですむ。
それだけで旅人の視点に、生活者の視点が加わる。
訪れる国がぐっと近くなる。すると
その国のことがもっと好きになる。
旅好きな人がどこでも暮らせるのは
きっとそんな理由にちがいない。
これがぼくがセブ島で学んだことである。
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