老後にいくら必要か?より大事なこと
よく老後に備えて3000万円必要だとか、いやいや1000万円あれば十分という意見もあれば、とんでもない1億円ないと安心できない・・などなど百家争鳴。いっぽうで、貯蓄なし世帯は3分の1もいる。
その人がどういった暮らしをしたいかにもよるし、どこで暮らすかにもよる。ぼくのように年金をもらわないことを前提に考える人もいれば、もらえるものはなんでももらわなければ損、という人もいる。あえて言えば「いつから老後?」と考えるかにもよるだろう。サラリーマンなら定年が60か65。それよりあとを老後と考える人が多い。平均寿命からこの齢を引き算してみて「意外と老後は長いのだ」なんてことをいう。
そもそも老後っていったいなんだろう?
ぼくは「生きたいように生きれなくなった後」と考える。この定義からすれば「若くして老後なひと」もいるかもしれない。本来なら、生涯、老後を迎えないのが理想だ。
話を少し広げてみる。
ご存知、日本の実質GDPは500兆円あまり。
2005年に500兆円を超えてから、まいとし微増している感じだ。500兆円のうち、労働による報酬が半分で約250兆円ある。あなたの給料もここに含まれるはずだ。残り半分のうち資本に対する対価が約100兆円、残りは設備の減価償却や固定資産の維持経費となる。
ここで「資本に対する対価100兆円」に注目。これは投資などによって得られる報酬や配当、利子の総計である。ぼくはサラリーマンから独立したので、今後は労働報酬ではなく、こっちの資本対価の枠に移動した。
雇われるより起業の方が割に合う
ちなみに日本の国富(資本として提供されているお金の総額)は、ここ10年くらい概ね3000兆円で推移している。つまり年間3000兆円投じた資本の対価として100兆円の利益がでた、と読みかえるとわかりやすい。
- 利回り 100兆円 ÷ 3000兆円 = 3.3 %
つまり日本全体の資本運用利回りは 3.3% というわけだ。定期預金のざっと20倍はある。銀行にお金を預けるよりずっと率がいいのが、資本利回りである。株式投資や不動産投資をしている人は、これが目指す利回りの最低ラインである。これがまずひとつ。
いっぽうで、日本には6600万人の労働者がいる。さっき示した250兆円をこの人数で割れば、ひとりあたり378万円。ざっと、これが日本人の平均年収とみていい。サラリーマンやパート、アルバイトで生活をする限り、この報酬枠内にある。働けど働けど我が暮らし、楽になれず。そのうえ会社を解雇されたり定年を迎えれば、そんな年収すらなくなる。だいじょうぶか、老後? となる。これがふたつめ。
最初の話に戻る。老後にいくら必要か?
マクロ指標からすれば、ずばり1億円である。
ひとつめの原理からすれば1億円の利回りは330万円。ふたつめの平均年収とほぼ同額である。つまり1億円を投資に回して運用すれば、雇われてもらう給料の額と変わらない。働かずして報酬を得る。いわゆる不労所得。その意味で年金と変わらないが、年金のように若い世代に負担をかけることはない。
この国では労働者として給料をもらうより、資本家・投資家としてリターンを得るほうが有利ということがGDPを見てもわかる。もっともこの傾向は日本だけではない。世界と共通する。少し前に話題になったピケティの『21世紀の資本』でも、格差の原因は「給料による報酬」と「資本からの報酬」の違いに起因するとある。納得である。
結局のところ企業は従業員の昇給より、利子や配当を優先するものだ。でないと融資や投資を受けれなくなるから。だからどうしても経済成長率よりは資本による利回りのほうが高くなる。給料など労働報酬が上がるためには、経済成長が必須にもかかわらず。日本のように成長率の低い国は、平均すれば国民の給料も上がらない。アベノミクスで経済成長させたいと政府が言うのも、これが理由だ。国民の所得が増えなければモノは売れないし、税収だって上がらない。こんなときに追加の消費増税が行われていれば、税率は上がっても税収は逆に減っていた。経済マイナス成長がしばらく続くところだった。本来なら凍結、できれば5%に消費減税するべきだった。
- 日本の経済成長率 0.4%(過去10年間の平均)
- 日本の資本利回り 3.3%
自由に生きたい。とぼくは思う。
たぶんあなたもそうだろう。
だが自由にはいくつもの種類がある。すごす時間の自由、くらす場所の自由、かかる病からの自由・・など。こうした自由を担保してくれるのが経済的自由だ。きびしいことを言えば、経済的自由のないところに、ほんとうの自由はない。ニートはだから自由じゃない。
経済的自由の実現は、労働報酬だけではむつかしい。人は老いるし時間は有限だからだ。よく「時は金なり」などといわれる。英語でもタイム・イズ・マネーなどというから、世界同時的に大きな誤解である。お金を生む手段など、やろうと思えば同時にいくつも設置できる。だが時間はそうはいかない。1時間経てば、あなたの命も1時間減るのだ。有限なのは時間であってお金じゃない。まさに「時は命なり」である。命をすり減らすように稼いでいったいなにが幸せか。
ぼくが実業家や資本家を選ぶ理由はそこにある。GDPをガイドラインとして、ひとまず資本1億円(不動産その他の年間配当330万円)。 それをベースに時間と場所に制約を受けない事業をいくつか立ち上げ、事業報酬を積み上げる。これが当面の目標である。
心配なのは老後じゃない
老後の心配?
会社に務めるのもリスクなら、自らの事業を運営するのもリスク。同じリスクを犯すならと、ぼくは後者を選んだ。すると、老後の心配もなくなった。老いるのはあたりまえで、たいしたことじゃない。そんなことより、生きたいように生きれなくなることのほうがよっぽど心配である。自由でなくなることのほうが恐怖である。
心配にも、していいのと悪いのとがある。
きょうも良い一日を!
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