初めての起業は32のとき
後に「インターネット元年」と呼ばれることになる1995年、ドイツで起業した。2度目は39、こんどは香港だった。起業なんて生涯に一度あればじゅうぶんである。それを2度もしているのだ。とはいえ「会社勤めもまんざらでもないな」とサラリーマンにやさしい日本社会に染まリそうな自分に喝をいれるときがきた。
「これからはインターネットの時代だ」と、勤めていた会社を飛び出した自分。初めてケータイを手にしたのも同年で、ネットとケータイがあればどこにいても仕事ができるじゃないか!と浮かれたものだ。ドイツで起業してまもなく、ロンドンへと渡り仲間とインターネットサーバーを立ち上げ、データ専用回線をひくなどして事業らしきものを始めた。いささか浮かれすぎていたかもしれない。朝から晩まで寝食忘れて働いた。紆余曲折の末、収益事業には至らなかったのだけれど。
1995年はネットで事業の環境は十分とはいえなかった。利用者が少なすぎたし、制約が多すぎた。それでも得がたい多くの機会と経験をし、そのことが縁で2000年の秋、香港に渡って二度目の起業。翌年ドットコムバブルがはじけ、あおりをうけて親会社が倒産した。迷ったが結局、個人で事業と従業員を引き継ぐことにした。苦労の甲斐あってようやく軌道に乗りそうになったとき、会社を奪われ、ぼくは負債を抱えて困窮した。それでも借金を返し、共に働いてくれたスタッフの再就職を見届けたあと、ふたたび縁あって東京でサラリーマンに戻った。
東京でのサラリーマン生活は目新しく、快適だった。毎月振り込まれる給料はありがたく、会社によって雨風が防げる感覚に安心できた。だけどここ10年でビジネスをとりまく環境は大きく変わった。稼ぎ方のルールも変わっていった。会社の中の「稼げる人」の定義が変わり、条件も更新しつつある。ぼくが一貫して関心のあるネットビジネスの環境も、これまで以上に変化が激しく、商品・サービスのサイクルがより緻密になった。商品企画・開発、ディレクション業務、打ち合わせ、受・発注、契約締結、商品管理、調査・・仕事のほとんどはネット上で完結する。しかもやろうと思えば、労なくひとりで行える。
ネット検索ビジネスはいまやグーグルの独壇場で、ゆえに同社の業績推移はそのまま市場全体の代理変数に値する。そのグーグルがここ数年で世界全体のクリック数は4倍になったと公表した。ネットユーザーが1.3倍になり、クリック数は4倍になったと。つまり、全世界でネットユーザーが23億人から30億人に増え、閲覧数は一日ひとりあたり10ページから30ページにまで激増した計算になる。いうまでもなく、これはスマホの普及によるものだろう。スマホはまた、アクション率も高いのだった。
ぼくがぼんやり(でもないけど)20年齢をとっているあいだ、ビジネスの環境はこれまでになく変化していった。リーマン・ショックを超え、スマホ元年の2010年を機に資本の在りかたが大きく変わった。これに呼応するかたちで個人事業をとりまく環境は、これまでとはケタ違いによくなった。雇われずに生きる人々が世界的に増えた。スマホの普及がもたらした功績は、個人による市場関与をより行いやすくしたことにある。
いったいなにが変わったか?
- 事業コストが桁違いに安くすむようになった
- 先行投資額が抑えられるから、急いで利益を出さずとも良くなった
- 顧客はサービス提供者の規模を気にしなくなった
- 事業運営に場所や時間の制限を受けなくなった
- 資産を持つまでの敷居が低くなった
20年前にロンドンでサーバーを立ち上げたときも似たような思いに駆られたが、いかんせん先取りしすぎたのだろう。まだまだレガシー(既得権益)が幅を利かせ、個人より大企業の方が受注しやすく、収益レバレッジも効かせやすかったのだ。小さいものが大きなものに食われた時代である。香港ではスタッフに払う給料が、じわじわと経営を圧迫した。いまなら雇わずとも、クラウドソーシングがある。必要に応じて単発で業務委託ができるのだ。IT投資も桁違いに安くなった。1千万円クラスのインフラコストが、数万円ですむようになった。過去に経験したあらゆる経営上の足かせが、いま解消しつつある。
大企業と遜色のない高度なサービスを個人が行えば、コストでハンディのある企業は太刀打ち出来なくなる。信用においても、ネット上では個人と大企業の区別がなされにくい。つまり企業より個人、大より小が有利な時代となった。
スマホでいっそう制約なくつながる社会においては、あらゆる他人を自分のお客にできる。そのため不特定多数のなかから自分を知ってもらうには、ここに商品があり、サービスがあることを「知ってもらう技術」が成否を分ける。企業か個人であるかは関係ない。専門家である必要もない。ましてこの「知ってもらう技術」をぼくに教えているのは、実に息子くらい年下のメンターである。商売の成否は他人とつながり、惹きつけることのできるテキストや画像、または動画といったコンテンツによる。良いコンテンツとは、それをみた人が「影響を受け行動する」かどうかで決まる。
いよいよ31日がサラリーマン最終日。
これからは時間と場所の制約をうけることなく働こう。iPadをいちまい小脇に抱え、世界をかけめぐりながら仕事をするのだ。のんびりと、のびのびと、いつまでも。かつ世界に良い影響を与えられる仕事に携われれば、いうことはない。
卒業祝いということで、Appleから発売したばかりの iPad Pro 9.7″ が届きました(要するに自分で買っただけですけど)。ここ何度か 12.9インチモデルを小脇に抱えて旅してましたが、デカくて重いため取り回しに苦労してました。ノートパソコンのほうがコンパクトなのでは?と思うほど。9.7インチというサイズは、それなりにちゃんと利用シーンを考えて決められたのだろうと思います。とはいえ 9.7インチiPad Airでは、イラストを描くのに必須のApple Pencilが使えないしどうしよう?と思っていたところ、満を期しての9.7インチプロの登場。待ってましたよ。梱包を解いた瞬間、とびだしてきたiPadから「さあ、でかけようか!」と言われた気が。 以上、iPadトラベラーのなおきんでした