高雄から特急で台南へ向かう。
自販機で切符を買い、改札へ。昔懐かしい切符切りの駅員さんがいて、スタンプをポンと押してくれた。指定席なし特急券でなんと35台湾ドル、日本円で120円程度である。車内は帰省ラッシュのように混み合い、通路に人があふれていた。そんな立ち客のひとりとなり、揺れる電車にコーヒーをこぼしそうになりながら30分をすごし、すべりこんだ台南駅に降り立った。
▲ 懐かしいデザインの切符 高雄⇛台南 自強=特急 TW$35
ホームに足をつけた瞬間、一陣の風にふわっと身体がつつまれる感触がある。大きな駅だけど、どこか懐かしい。よくわからないままカメラを取出し、あたりを撮影していると、とおり過ぎさまに「この駅はむかし日本人がつくったよ!」と日本語で話しかける初老の男の声に振り向くと、離れていく背中と白い頭が見える。ただそれだけを言い残し、連れの女性と振り向きもしないで去ってゆく男の後ろ姿。
▲ ホームのようす。おじいさんに声をかけられたのもここ
▲ 台南駅(日本統治時代の建物)
台南は高雄よりもずっとローカルなたたずまいで、どこか九州にある都市を思わせる。週末の早朝ということもあり、店のシャッターは降りたままのところが多い。すでに日差しは強く、暑い一日になりそうだ。だのに道行く人のほとんどは長袖。セーターを着てダウンジャケットを羽織っている。3月いっぱいまではなにがなんでもダウンを着る、と決めているのかもしれない。薄手のVネックセーターの袖をまくり、ぼくは駅を背にして歩き出す。
▲ アーケード式になっている舗道はお店の一部に
▲ 通りに面して設置されたアパートの電測計
ノスタルジックな情緒あふれる街並みである。看板のほとんどは縦書きで漢字。横文字が少ない。走る車のほとんどが日本製。看板にも「の」など日本語が混じる。寺院が多い。スパッツ姿のおばちゃんが多い。チョッキを着た初老の男性が多い。ホームに降りたときに感じた風は、どの街角にもあった。高雄同様、台南の人々も静かに話す。時折うるさい団体がいるので、中国人かと思ったら日本人だった。圧倒的に年配が多く、うちひとりの女性が「台湾なんてもうしょっちゅう来てますからね!」と周囲に話しかけていた。頼もしいが、迷惑がられているようでもあった。
▲ ただの担々麺屋の店内が1枚の絵画のよう
ノスタルジックな印象をあえて作っているのも台南スタイルである。かつて米系ファーストフードチェーンにありがちだったプラスチックな内装を木に戻し、壁紙をアースカラーに変え、鉢植えに緑が盛られている。これは台湾のどこもそうかもしれないが、飲み屋を食べ物屋が圧倒している。香港に負けず、台湾も外食天国である。
迷いながら神農街(シェンノンチエ)へ。
ここは日本統治時代は「北勢街」と呼ばれたとても小さな参道。ゆえに「神農廟」というお寺につきあたる。通りに面したお店や民家はどれも古く、薄いモルタルが剥げレンガがむき出しになっている。これがまたノスタルジックな風合いを醸成し、センス良くリフォームされた内装と相乗して、味わいのあるたたずまいになっている。若いカップルもみられ、格好のデートスポットでもある。
▲ 神農廟 よって参道は石畳が敷き詰められている
▲ 参道のわきには普通の民家やお店が
▲ 立ち寄ったカフェ「Taikoo」
▲ ターコイズブルーで統一された店内 教室のよう
▲ 古い地球儀の大陸の色もターコイズブルー
▲ セルロイド製の豚が陳列、通りを眺める
▲ ディスプレイされた鉢
▲ 台湾人はカワイ物好き、提灯もこのとおり
わずか300mの通りでしかないのに、いつまでも歩いていたくなり結局2往復してしまった。午後になっても閉まっている店がある。店主は宵っ張りなのだろうか。時おりバイクがバリバリバリと通り抜けるほかは風の音と鳥の鳴き声しか聞こえてこない。夕方になるにつれ賑わい、明かりが灯るようになると、さらにノスタルジック度が増すのだろう。次回は是非、夕刻を狙って訪れたい。
▼神農街(場所)
また台南には、戦前に建てられた日本のデパートが復元され、営業している。ハヤシ百貨店。日本統治時代の1932年に創業し、ジャズ、喫茶店、ファッション、開放的で自由恋愛が流行り始めた台湾モダンの象徴でもあった。太平洋戦争中は、米軍の爆撃に遭い、屋上にはいまもその跡がある。戦後は国民党政府に摂取され、製塩工場や警察署として使われたあと大規模な改修を行い、2014年6月に再び百貨店としてオープンした。戦前はエレベーターそのものがめずらしく、これに乗るためだけにディズニーランドのアトラクション並みに行列ができていたという。
▲ ハヤシ百貨店 サイトはこちら
▲ 大人気だった当時のエレベーターを再現、階段脇には丸い通風口も
▲ 地元の人に大人気。店内が広くないので入場制限もおこなう
▲ 扇風機も当時のデザインを再現 窓枠も丸い
▲ 大正モダンを感じさせる内装、浸れる
▼ハヤシ百貨店(場所)
いま台湾旅行がブームだという。
「台湾人が親日的」というのも寄与しているのだろうけど、そこには日本ですらもう見られなくなった懐かしい日本を見つけることができるから、ということもある。大連や旅順、ベトナムのホイアンに通じる、なにかこうはじめてなのに懐かしいと感じさせる風景や佇まい。人々の優しさ。それはぼくが勝手に想像する「古き日本の良き時代」に過ぎない。現実はもっと過酷で台湾の人たちにとっては、期待するほど良い時代でなかったのかもしれない。それでも、全世界を敵に回しても日本が好きだという台湾人がいたり、日本に災難が降りかかれば惜しみなく援助するひともいる。
一見してぼくが日本人だということを見抜き、日本語で話しかけてくる人。日本語も英語もしゃべれないけど、一生けんめい意思疎通をはかろうと身振り手振りで伝えようとする人。かつて、らくちんさんは台湾人を「やさしいコスモポリタン」と呼んだ。彼らはとことんローカルであり、とことん外に開かれている。おせっかいで、ひかえめで、おとなしく異様にでしゃばりだ。特急の車内で自分は指定席に座っているのに、そばに立つ高齢者を見つけて席を譲る若い女性。自分の席なのに誰かが座っていても、とくに腹をたてず、気づくまでそばに立ってにこにこしている若いカップル。
30年近く前、はじめて訪れた台北で感じた「昔の日本人はきっとこうだったんだろうなあ」と思わせる、あたたかさがいまも台湾にある。特に台南や高雄では、強く思わされた。台湾が日本のそばにあってよかった、と思う。たぶん88回めくらいだ。