TOKYO 2016
旅の禁断症状が止まらない。
どうなるかというと、
- 高級カメラを買いそうになる
- 会社と反対方向の電車に乗りそうになる
- 旅行鞄を注文してしまった(後にキャンセル)
- 空撮用ドローンを買ってしまった(キャンセル失敗)
- 空を見上げることが多くなる
- 航空券を予約してしまう(キャンセルしたが手数料発生)
旅に出るのになぜ高級カメラを買いそうになるのか、自分でも不思議である。おそらく自分の中では「旅と写真はセットでお得」的な位置づけなのだろう。なにがお得なのかわからないが、高級カメラは20万円以上するので、旅に出る都度欲しがっていてはあっという間に散財してしまう。20万円をキャッシュで手にすればビビるのに、ネットでの注文はただ数字が羅列するだけなので実感が薄弱だ。クレジットカードを切り刻みたくなるのはそんなときである。
思えば17のときに家出して以来、旅はぼくにとってライフワークである。そのうえ方向音痴なものだから、人生ごと迷いもする。育ててくれた祖母が嘆いていた。「デパートで呼び出しくらうのはこりごりだよ、誰かあんたを空の上から見張っておいてもらいたいもんだね!」
おばあちゃん、それいま実現してる。GPSっていうんだ。
BRITISH MALAYA 1941
ぼくの方向音痴は遺伝である。
オトンもよく道に迷う。祖母が言うには、旦那(祖父のこと)もひどかったらしい。ただそれが理由で戦地で命拾いをし、オトンが生まれ、しばらくしてからぼくが生まれた。戦車兵としてマレー半島をシンガポールに向け進撃中、ジャングルで道に迷い、指揮を執っていた戦車が本隊とはぐれてしまった。祖父たちが途方に暮れ、日まで暮れたころ、本隊は待ち伏せしていたグルカ兵による対戦車砲の一斉射撃で壊滅してしまった。道に迷っていなければ、祖父も殺されていたのだった。
「方向音痴は命の恩人ね」と祖母は笑う。ぼくは笑えなかった。こうなるともう、そんじょそこらの方向音痴とはいえないような気がしたからだ。
ÖSTERREICH 1993
ある日、ドイツから車でスイスに向かう途中、道に迷う。なんとか国境を越え、アルプスの山の中を数十キロ走り、ようやく適当な宿を見つけたのは23時をまわっていた。暗い山道を長く走ったせいでぐったり疲れ、夕食も取らずベッドに倒れこむ。だがそこがスイスでなく、オーストリアだと気づいたのは翌朝になってからだった。まだナビなんてものがなかった時代である。「国際方向音痴だね」と友人は笑う。ぼくは笑えない。
THE PHILIPPINES 1987
フィリピンで暮していたころ、よくタガログ語で道を訊かれた。日焼けしてると、まるで現地の人に見えるらしい。「ワタシはアナタほど道を訊かれないデス」と現地スタッフがいうから、どうやら道を訊かれやすいタイプでもあるらしかった。おまけに、自分がよく迷うぶん、道の教え方には自信がある。人は悲しみが多いほど、ひとにはやさしくできるものだから。
ぼくが旅好きなのは理由がある。
無事に帰ってきた時の喜びが、人より大きいからだ。
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