出版不況は活字離れが原因ではない
世界の主要都市を旅していると、本屋が極端に少ないことに気づく。新聞スタンドはあっても、ブックストアがみあたらない。または売り場面積が小さい。大型書店は思った以上に少なく、個人的にもここ数年みたなかではロシアのサンクトペテルブルクにあった本屋くらいである。
ひるがえってみれば日本は比較的本屋が多い国といえそうだ。実際のところ、日本人の平均読書数は年間30~40冊(諸説あり)、世界的にも高いほうだ。「大半はマンガ」というひともいるが、読書に変わりない。個人的にはほとんど読まないが。なお、読書量は年収に比例するとも。
日本に本屋が多いのは「日本人の本好き」だけではない。「取次」といわれる書店流通システムと、定価でしか売れないという再販制度のおかげでもある。本屋のオーナーは本を置く場所があれば、並べる本は取次が配布してくれ、売れ残れば返品できる。どこで買っても値段が変わらないから、不毛な価格競争にまきこまれずにすむ。低リスクなのだ。野菜や電化製品、衣料品ではこうはいかないだろう。商売が始めやすいというのが、書店数の多さにつながっていた。
かつてはどこで買っても同じ値段、というのが地元の本屋さんのメリットだったが、これがいまではアダになり、どうせ買うなら大型書店で気持よくじっくり選びたいとする客を大型店に取られてしまった。大型店も安泰でなく、さらに品揃えが充実している上に無料で配送してくれるAmazonに奪われつつある。Amazonでは安い中古本も併売されるから、再販制度で守られたシステムも意味が薄れた。2万店を超える本屋は次々につぶれ、いまは1万3千店にまで減ってしまった。
ぼくは本屋が好き(本そのものより好きなんじゃないかと思うくらい)で、つぶれて欲しくないし応援の意味もあってできるだけ最寄りか、通勤途中の本屋で買う。たしかにぼくはAmazonのヘビーユーザーにちがいないが、本以外の注文がほとんどである。
書店は減ったのになぜ新刊発行数は増えているのか?
出版不況と言われて久しい。
そのうえで日本人の本離れを嘆く。これはもう時代の変化としか言いようがない。WEBメディアにスマホ、ネットのゲームや動画配信、SNSやLINEといったやりとり。情報の入手元は多様化した。情報の多さに比例して1日24時間が36時間まで増えれば話は別だが、メディア接触時間は限られている。読者としてはおなかいっぱい状態である。
そんな状態で本が売り損じているあいだにも、新刊の出版点数はどんどん増え続け、いまや8万点を超えた。本屋の数がピークだったのは、バブル時代真っ盛りの1988年で2.8万店。この時の新刊点数は4万もない。本屋は半減したのに、新刊は倍になった。ふつう需要が減れば供給も減る。減るどころか増えている。これがお金なら過剰インフレ状態である。紙幣の価値は下がり、為替レートでいえば円が、1ドル100円から400円に下がるようなもんである。
引用:「出版年鑑」ベース
事実、出版社は本をお札のように刷り続けてきた。
しくみはシンプルだ。出版社が新刊を発行し、取次に買い取ってもらう(新刊配本)。このとき書店が「これ売れないからもういらない」と返品されてくる本と相殺される。出版社としては、返品される本が納品数を上回れば赤字になってしまう。これはまずい。それでより多くの本をつくって納める。赤字は免れる。だがつかの間、翌月はさらに返本が増える(だって本の数が増えちゃうんだから)ので、さらにそれ以上の本を納めるために新刊を増やす。すると翌月さらにもっと返品される。赤字にならないよう、さらにもっともっと納品する・・・と永遠に繰り返されるわけである。新刊インフレ状態である。
増えつづける新刊点数インフレに対し、書き手はどうなのか?日本に作家が増えたとはきかない。つまり一人がたくさん本を書くか、書く人を増やすかしかない。ぼくのようなしょぼいブロガーにも「本を書きませんか?」とオファーされるのは、そんな事情もある。インフレだから1冊あたりの価値は相対的に低い。ゆえにギャラも低い。もっとも1冊あたりの質も下がったのではないか。過去本を書いてきた人に聞いても、印税で悠々自適なんてのは夢のまた夢。「出版は自分の広告みたいなもんです」という。つまりセルフ・ブランディングのためである。
出版不況の本当の理由は?
出版不況は以下の7つ
- 本屋で買わなくてもよくなった
- 情報は本でなくてもよくなった
- 本は紙でなくてもよくなった
- 作家(著者)の裾野が広がった
- そもそも本では儲からなくなった
- シェアエコノミーの概念が高まりつつある
- 日本人(日本語人口)が減りつつある
本屋は減ったが図書館は逆に増えている。ひとりあたりの貸出数も増えているという。活字離れがおきているわけでも、読者の知的好奇心が減っているわけでもない。まして本自体が嫌いになってもいない。
おそらく取次も出版社も、他の業界に比べ、既存事業にあぐらをかいてしまっていたのだろう。そのツケが回ってきたというのが今の実情である。過去なんども変革のチャンスがあったのに、既得権にしがみついて、変わろうと努力する他者や時代の非礼ばかりを咎めてばかりいた。
『パリ往復が4万円台でできる時代に「昔はよかった」と留まるようじゃ、人はもうどこにもいけない』
テクノロジーの進化は人を孤独にさせ、人と人とを結びつける。そのうえ、時間と場所から自由にさせてくれる。自由とはまた、選択肢が増えるということでもある。選ぶのに疲れると、人はまた拘束されたがるようになる。拘束されるとこんどはテクノロジーを非難しはじめる。あまりに不自由だと。そして自由そうな人を見つけては同調圧力をかけてくる。
業界というのは助けあっているうちはいいのだけど、いちど危機に煽られると脆い。いや脆いというよりは、互いに持つ力を弱め合うような逆シナジーすら生まれることがある。あと5年もすれば、本をめぐる環境はガラリと変わっているかもしれない。
変わるべきは他者ではない。自分だ。