「レストランで家族全員スマホをいじっている」という光景がこのごろはめずらしくない。会話もなく、顔に表情もない。黙々とそれぞれの画面と向き合っている。
ひと世代前では「ポータブルゲーム機に夢中になる子どもを、親が叱る」光景がみられた。やがて叱られていた子どもが大人になり、そのあいだ休むことなくテクノロジーは進化した。親となっても画面から目が離せない。然るに子どもを叱る立場にない。バーチャル空間が生まれ、急激に拡がっていった。目の前の家族と距離があき、大企業や政府に対する信頼が弱まった。世界は狭くなったが人との距離が遠くなる。これまで知り得なかった情報がつぎつぎに現れては消え、それぞれの賞味期限がどんどん短くなった。
人ひとりの気持ちが希薄になった、とは一概には言えない。むしろつながりを求める傾向はより強くなったのではないかと思う。だた、スキマ時間がつぎつぎにスマホに埋められ、余裕がなくなっている。電車を待つ時間、ごはんを食べている時間、思索したり想いを馳せたりする時間。こうした時間がスマホの画面にかすめとられた。だが画面の向こうには生身の人間とのやり取りだったり、調べものだったり、買い物だったりする。スマホがなければもっと手間がかかり、お金がかかり、時間がかかったかもしれない。
スカイスキャナーという会社がある。
2001年英国エジンバラで創業し、2015年には日本法人も設立した。世界中の航空チケットの価格を集めて比較できるサービスを提供している、といえば思いあたるかもしれない。ぼくも数年前からサイトで利用しはじめ、アプリをダウンロードして使っている。いまや旅をするのに無くてはならないアプリだ。
いまのバージョンでは、航空会社毎にどの月日がもっとも安いか、チャートで示されるようになった。気づけば日本語表記されていた。行き先が決まってなくても、出発空港だけ選べばそこから安い順に国が表示される機能が追加された。順位は近いほど安いわけではなさそうだ。東京と広島は新幹線で往復すると38,000円かかるが、それより安くいける国は香港やマレーシア、パラオなど16カ国もある。もちろんシーズンによっては高くなるが、ありがたいのはいつだったらもっとも安いかがひと目でわかることだ。
▲ 旅行代理店サイトではダミー価格だったということもあるけれど、SKYSCANNERは入手できる実売価格が表示される
予約と同時に決済もPaypalかクレジットカードで完了。初めてこのアプリを使ったのはウクライナを旅行中、オデッサのカフェでキエフ行きのチケットを予約したときだった。席に着くなりコーヒーを注文し、アプリを立ち上げ、コーヒーがでてくるまでにチケット購入が完了した。「あの東洋人、店に入ってくるなりスマホばっかりいじって・・」店の人からはそう思われたかもしれない。ぼくはといえば初めて使うスカイスキャナーに感動したばかり、であった。
同じことを旅行代理店で行っていたらもちろん3分では済まない。オデッサのどこに旅行代理店があるのか探さなくちゃならないし、あっても英語が通じないかもしれない。まして値段をふっかけられても、抗う術もない。テクノロジーの進化は自由と時間を与えてくれもする。
▲ ウクライナ、オデッサのカフェで(2013年7月撮影)
旅の話題ばかりで申しわけないけれど、Airbnb(エアビーアンドビー)もすごく楽しみなサービスである。念のために説明しておくと、お互い自分の家(部屋)をホテル代わりに貸し合うマッチングサービスである。貸すだけの人もいれば。借りるだけの人もいる。実はまだ利用したことはないのだけど、先日ある場所を予約を入れてみた。「こんどそっちへ遊びに行くね!」「OK、連絡くれたら最寄りの地下鉄駅まで迎えに行くよ」といったノリである。ホテルよりも安上がりにしたい、という需要もありそうだが、それよりその土地で暮らすひとの普通の一軒家やアパートに泊まる体験自体に価値がある。「暮らすように旅をする」という体験だ。
泊まれる部屋のなかにはフランスの古城やオランダの風車小屋、イタリアのツリーハウス(木の上に部屋がある)やアメリカのキャンピングカーなどもある。モンゴルのパオ、アルメニアの山小屋、なんてのもある。一泊からとれるが、少しまとまった時間ができれば、しばらくそこで暮らしてみるのもいいだろう。キッチンや洗濯機などもついている。一生、いろんな家を泊まり歩きながら世界中を巡りたい。そんな気すらしてくる。
生活のために働く、消費のためにお金をつかう。それがあたりまえだった時代では、いまはないのかもしれない。賃金が上がらない代わりに生活コストも最適化される。モノを買って所有するよりレンタルしたりシェアでまかない、新しい体験にこそお金をつかう。モノを増やすのではなく、体験を増やすことに人生の価値を見出そうとする。体験はシェアされ、誰かの体験を生むきっかけとなる。そうしたエコシステムである。それは環境に配慮してのこともあるが、あまりにも多くの情報を得やすくなったことの成れの果てなのかもしれない。
テクノロジーの進化は人を孤独にさせ、人と人とを結びつける。そのうえ、時間と場所から自由にさせてくれる。自由とはまた、選択肢が増えるということでもある。選ぶのに疲れると、人はまた拘束されたがるようになる。拘束されるとこんどはテクノロジーを非難しはじめる。あまりに不自由だと。そして自由そうな人を見つけては同調圧力をかけてくる。
テクノロジーと相性の悪い人を人間らしいと呼ぶのは、そのとおりかもしれないが、良い意味での人間らしさじゃないかもしれない。