文句を言いながら過ごす人
なにかと不機嫌で、文句ばかり言う人がいる。
しかもその文句がなかなかうまい。暇を見つけては反芻しているかもしれない。不満があり、文句をいいたくなる背景はひとつ。非は相手や周囲にあって自分ではないという思い込みである。
でも本当は気づいている。不満があっても、現状維持のほうがラクだから変えられないことを。人は自覚している以上に合理的な行動をとっている。不満と現状維持、トレードオフで現状維持を選んでいるだけのことだ。それならそれで構わない。それもまた個人の自由である。
自信がないのにプライドはある
自信がないのにプライドがある。本来それはプライドでもなんでもないのだけど、自分の信じるプライドを守るためには、いいわけが必要になる。現状は変えたくない。傷つきたくないから。
「できない」いいわけを用意し、変えられない自分を傷つかないようにさせる。アドラー心理学でいうところの、「まず自分が変わりたくないという目的があり、不安という感情を作り出す」というものだ。不安は不満になり、自分は周囲から、または特定の人物からひどい目にあっているとという被害者意識が生まれる。
被害者意識こそはやっかいな代物だ。世の中で事件を起こし加害者になるひとの大半が、こうした被害者意識によるものだから。
クソッたれの世の中!
そう思うことで自分のプライドを保とうとしていた時期が、自分にもたしかにあった。でもふりかえっても、そんなプライドこそクソッたれだったのだ。傷つきやすい自分。弱いほどにプライドは高く、壁のように積み上げては周囲とのあいだを遮断する。
言い訳をやめてみる。
周囲にも、自分にも。
それだけで、おどろくほどラクになれる。
自分はただ、ひたすらできない理由をあら探ししていただけだということに気づき、そんなことをしていてもちっともいいことなんてなかったことに気づく。
持ち物じゃなく、借り物
この世に生まれて半世紀、時代が時代ならとても生きていない齢に自分はなっている。しだいに思いが強くなるのは、自分に触れているもの、周りにあるもの、これはすべて借り物ということ。永遠にあるものではないし、まして自分のものでもない。さらにいえば、この自分の体だって借り物だ。この世に生まれたときに授かり、しかるべき時が来るまで借りていられる。だからいつかは返さなくちゃいけない。そのとき、キレイにして返すのか、ボロボロに汚し不純物にまみれて返すのか、それぞれに考えはあるだろうけれど、できればキレイにして返したい。いや、いつ返せと言われても大丈夫なように、存分に使いながら大事にお借りしなくてはと思う。
世にあるほとんどのものは自分にとって借り物だけど、唯一自分のものは ”時間” 。時間こそが、自分の持ち物である。1日24時間、1年365日、生きるものすべてが平等に与えられた大事な資源である。しかも返さずとも良い。というか返せない。失えっても取り戻せないからだ。だのに、ぼくたちはあまりにも時間をないがしろにしていないだろうか。
周囲に不満のある人は、同時に周囲の目をとても気にする性質をあわせ持つ。意識あるところ、つねに共存するのだ。人の目を気づかい、いったいどれだけの時間を自分ではなく、他人に割いていることか。自分は無限かもしれないが、時間は有限である。
すべては借り物
自分の体も借り物
自分のものにしていいのは時間
返さなくてもいいが、返っても来ない
大事にしようね。