初めて海外で暮らそうというとき、先輩から「人前で靴を脱いではダメだよ」とアドバイスされた。それは人前で裸になるようなものだからと。ぼくは忠実にそれを守ろうとした。たしかに、「人前で裸」は恥ずかしい。こんなことをしては、ニッポン男児の恥である。
ヨーロッパの鉄道車両には「コンパートメント」という座席の種類がある。ちょっとした小部屋に3シートが向い合せに設置され、通路との間に引き戸の扉がある。空いていれば一人でそこを占有することもできた。だいたいにおいては他の乗客と乗り合わす。ぐうぜん乗り合わす他人。ひとりでいるところに誰かが入ってくると、まるで聖域を侵されたようでちょっとがっかりするが、相手次第では「知りあいになれるかも?」とわくわくする。ぼくがまだ20代になったばかりのころである。
その老婦人はたいへん高貴なたたずまいで、しずしずとコンパートメントに乗り込んできた。ご機嫌いかが?とあいさつを交わし、荷物を網棚に置こうとする。ぼくは立ち上がってそれを手伝う。老婦人はニコリと微笑み、お礼を言う。とても自然に。
彼女は通路側に座り、ぼくとは斜め向かい合わせになった。間もなく彼女はシートを倒し、脚をあげ、片足ずつそろりそろりと向かいのシートに置く。そしておもむろに靴を脱ぐ。みごとなほど優雅なしぐさだった。なによりみょうに艶っぽい。髪は雪のようにまっ白で、顔には年輪のようなしわがあったが、それすらも優雅にみえた。彼女は小さなバッグから白いハンカチを取り出し、自分の両足にそれを掛けた。そこはかとなく恥じらう感じが漂った。「人前で裸」という先輩の言葉を思い出し、ドキドキした。セクシーさというのは普遍的である。受けるものが誰であれ、与えるものが誰であれ。
古来、日本では靴のことを「沓」と表現した。
どちらも発音は「くつ」であるが、「沓」の由来は古く、「けがれる」という意味が含まれた。それで、けがらわしいものを家に持ち込まないようにと、日本では古来より靴を脱いで家に入る風習になったといわれる。
ドイツで初めて住んだ部屋では土足で暮らしていたが、数年暮らしたあとで玄関で靴を脱ぐようになった。郷に従えの精神だったが、どうにも体に合わない。疲れが取れないし、部屋が汚染される気がした。客人が部屋にあがりこむときも、理由を言って脱いでもらうようにした。とても失礼なことだとは思うけれど。先輩の言葉を思い出し、気になって、靴を脱いでいる客人に「裸になってと言われた気になるか?」と聞いてみたこともある。たいていは「気にしない」と答え、中には自分たちも土足禁止にしているドイツ人もいた。ただ、ほとんど全員が出されたスリッパを「誰が履いたかわからないものを履きたくない」と断った。言われてみればその通りだった。けがらわしいのは自分の靴の底ではなく、他人の足の裏なのだ。
あのころから今までいろんな人が靴を脱ぐ姿を見てきたが、あの老婦人がみせたしぐさほどドキドキしたことはないし、多分これからもないだろうと思う。
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