フィンランド航空80便は、定刻どおり午後2時半にヘルシンキヴァンター空港に到着した。そこで思いのほか入国審査に時間がかかり、開通したばかりだという空港電車をあきらめ、あわててタクシーでフェリー乗り場へと向かう。そこから海路、エストニアの港町、タリンへと向かうためだ。フェリーの出発は午後4時半、これを逃せば次のフェリーは21時。余裕のはずだったが、結局ぎりぎり滑り込むことになった。
△ タリンに向かうフェリーの甲板にて 空は澄みきり風がすごい
まったくあの入国審査の長い行列はなんだったのだろう?自分の番になっても赤いパスポートの効果はなく、えんえんと質問攻めである。タクシーの運転手にはいくぶん足元を見られた気がするけれど、夕方の便を逃せば、短い時間がさらに短くなるのだった。
△ フェリー前方のサロン 正面はバルト海
フェリーは巨大で、9階建てだった。その7階と8階のあいだを行き来しながら約2時間をそこで過ごした。いささかくたびれたソファにすわり、ゆでジャガイモを食べ、コーヒーを飲んだ。
ホールでは、かわいそうなくらい誰にも相手にされないDJのかける古いポップスがながれている。そのうち紺碧の海面の彼方に教会の尖塔がみえてきた。船内の乗客たちがせわしく身支度を始める。タリンに着いた。
国境を越えたはずだが、フィンランドの出国審査はない。入国審査とまとめてやるのかな?とパスポートがポケットにあることを意識しながらゲートに向かうが、誰にもとめられずそのまま表に出てしまった。入国審査もなかった。
タリンの旧市街は周囲を城壁で囲まれ、中世の面影をそっくり残す。こじんまりとしてかわいらしい建物が、迷路のような路地をはさんでたちならぶ。古いもので13世紀、新しくても百年は経っているように見える。モスグリーン、レッドブラウン、空色、黄色。白い窓わく。久しぶりの石畳に足をとられながら、そぞろ歩く。でも足どりはどうしても遅くなる。角を曲がるたび、写真を撮りたくなるような風景に出くわすからだ。
ロシア、スウェーデン、ドイツ、ポーランド、ソ連・・ この国は常に周辺の強国に狙われ、征服されてきた。街を囲む壁もそのためにある。タリンの街の地下には縦横無尽に地下道が走るっているという。ギルドの街らしく、常に征服者にとりいっては商売を続けた。生きるための知恵は武器を取って戦うことよりも、慣れ、同化することだった。エストニアにおけるエストニア人の割合は約60%。いくどの戦果を経ても、まだ当時の建物がそのまま残っているのは、それを物語っているようにも思える。たとえ苦渋を孕んでいたとしても。
どこから、何を見ても絵になる風景である。
このような中世の街並みを現代に残すタリンだけど、意外と観光客が目立たない。オフシーズンならなおのこと。
まるでおとぎの国のようなタリンの街並み。夏から秋への気配も感じられる。
かべにかかれた”The Times we had.”の文字が、やけにしみじみとさせる。早朝に見下ろす街を眺めながら。こんなにも多くの時代を過ごしてきたんだなあと。
旅はまだ続きます。
それではまた。
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