何と多くの人が財布の中身を考え、他人の思惑を考え、家庭を考えてつまらない人生に甘んじてしまうことか。くよくよ考える人間ははじめから運に見放されており、勇気なんて滑稽にしか思えず、才能があっても活用されずに終わるのだろう。挙げ句のはては、不平不満の虜になるのがオチである。
生きづらいと思うとき、ついだれかを呪いたくなる。自分がつらい思いをしているのはあいつのせいだ、と。ある人は「ああすべきじゃなかった」と、自分を責めたりもする。誰かを呪い、自分を呪う。あなたにも思いあたることがあるかもしれない。それなりに合理性もある。あんがい正論だったりもするからだ。
いっぽうで、いつもだれかを褒めているひとがいる。「すごい!どうしてそんなことができるの?」「いつもちゃんとしてるね」「身のこなしが素敵ですね」・・・などと口にする。ところが、そういう当人こそ、びっくりするくらいよくできるし、きちんとしてるし、身のこなしが素敵だったりする。
「ことば」というのは、魔法のようにその人を支配する。人間の自律神経というのはたいへんなもので、発せられた言葉どおりにさまざまな化学反応を起こす。「できない」と発すれば、その意向にそってできない理由を山ほど探してくる。誰かをけなしてばかりいると、いつのまにか自分自身をけなしてしまっている。だれに向けられたことばであろうと、脳は、言葉どおりにあろうとする。ぼくがだれかを責めているときは、同時に自分を責めてもいる。相手を責めてばかりいる人が、ストレス過多なのもわかる気がする。ストレスは周りにも伝播する。だからストレスの多い人の周りにストレスの多い人が多いのは偶然ではない。
気をつけよう。
ことばで人は不幸にもなるし、幸福にもなる。その人の人生を作っているのは、これまで発してきたことば。もの事の良い面をとらえて、ことばにする。思うだけじゃなく、書く、話す。くりかえす。人生は言語習慣でなりたっているもの。
このごろちょっと調子悪いな、と思っているあなた。さいきん毒づいてばかりいなかったですか?そのままでいると冒頭のヘミングウエイのことばのように、くよくよしていて咲く花も咲かず、チャンスは逃げ、よい人たちが去り、不平不満の虜になってしまうかもしれません。気をつけましょう。まずは身近な人を褒めまくってみませんか。出された料理をおいしいおいしいと食べてみてはいかがでしょう。人生が好転するのって、あんがい身近で小さな積み重ねがきっかけになりますね。
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