朝、平均6時43分に起床。朝食、身じたくをととのえ、会社に到着は8時半前後。お昼休みは19.6分、昼食予算は500円。平成も四半世紀を過ぎたが時間は1983年の2/3、昼食予算は1979年と同水準だそうな。一日の平均労働時間は7時間44分。外食は週に一回程度で予算も2,860円、外食回数、予算とも史上最低という。平均睡眠時間は5時間57分。休日は年間107日。年次有給休暇の取得日数は9日。【出典:日本の平均 】
ザ・日本のサラリーマンである。
日本の就業者のうち、8割以上はサラリーマン。堀の中の生活のほうがいくぶんマシなんじゃないかという気もするが、日本はそんなサラリーマンにとってなかなか最適化されているようにも思う。食費、生活費、教育費・・他国に比べ必ずしも高くないが、ただ「楽しみ」ひとつあたりのコストでは、日本は思いのほか高くつく。だから「テレビのお笑い」のようにジャンクな楽しみで、コストを埋めあわせる必要があるのだろう。自由なようで自由でない。豊かなようで豊かでない。安全なようで安全でない。サラリーマンは、あんがい安全でいられない。
そんな日本のサラリーマンに戻ってきて、もうすぐ8年が経つ。おい、それって話が違うんじゃないか?そうだれかに云われたような気になる。だれかとは「自分」のことだ。気づけば50を過ぎた。なったばかりのころは世界が広がった気もしたが、意外と天井が低いのに困惑している。軽くジャンプをすればすぐにアタマをぶつけるし、いまじゃ立ち上がっただけで頭を打つ。
それ、ふつうじゃないから。
いつしか周囲から言われなくなった。知らず「ふつう」になりつつあるのだろう。それがいいことなのかどうか、自分に訊いてもわからない。10年前の自分なら答えられたかもしれない。まちがえても怖くなかったころの自分だ。
日本で「ふつう」でいることは、つまりほかの人と同じようにふるまい、周囲と意見をすり合わせながら生きていける人であることを意味する。それはそれでりっぱなことである。もっとも「普通の人生」なんてものはどこにもないが。
それでも前を向いて進むしかない。
日本で「ふつう」を使いこなせたら、世界のどこでも生きていけそうな気がする。正確に言えば、日本で「ふつう」に対して注ぐパワーを、ほかに注ぐのもありだろうか。
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