安保法制反対!
国会前で繰り広げられる反戦デモ。てっきり55年前のことかと思ったら、いま起こっているのだった。団塊の世代のひとりは「当時なにに反対していたのか自分でもよくわからなかった」と回顧するが、今回もたぶんそうなるのだろう。
「日本をアメリカに守ってもらうための条約」が日米安保条約なら、「互いに守り合いましょう」というのが集団的自衛権。反対ならば「自分の国くらい自分で守ろう」というのが自然である。だがそれはちょっとまずいと思う。そもそもこの国は、自分たちの軍隊だけで守れるほどタフじゃないし、日本を仮想敵国と考える中国、ロシア、北朝鮮(たぶん韓国も)の中には、核ミサイルを日本に向けている国もある。集団的自衛権というある種の拘束を失えば、自主自衛の名のもとに核武装や軍備拡張をせざるをえないのではないか。日米安保は反故にされ、集団的自衛権を謳う国連主義とも反するから脱退せねばならない。それこそが「戦争をする国」への道であり、いまの5倍くらいの軍備を保持する軍事大国になってしまうではないか。
プラカードをもって叫ぶ「戦争反対」ならばやっかいな火種を生む中国や北朝鮮に向かっておこなうべきで、安倍さんじゃないだろうと思う。安保と安倍、語呂合わせにしてはたちが悪い。
残念なのはまともな議論をこの国の国会がやらないことである。言葉尻を捕らえて越に入ったり、若手議員がよく考えもしないことを言ったり、ある作家の言及に、大の国会議員たちが抗議して憚らない。一人の作家の発言に、国会が紛糾し大マスコミが言論統制する。議会にプラカードをもちこんで「やめろ!」と叫ぶ野党議員の姿。あればいかにも醜悪だった。それを醜悪と言わず、逆に「強行採決された」などとうそぶくマスコミ。申し合わせたように同じプラカードを「市民」にもたせて場外でも反対と叫ばせるひとがいる。公称10万人、その実7000人。安全保障を安保(アンポ)と言いかえ、安全保障法案のことを戦争法案と読み替えてみせる。そのどれもがウソっぽい。
▲ わざわざ「戦争立法」と読み替え、反対するひとひと
反対運動をアジテートしている市民団体がいる。「国民は反対している!」とまるでぼくたちを代弁しているかのようにふるまうが、彼らが代弁しているのは中国であり韓国のようにぼくには思える。主張が似ているだけでなく、敵を「安倍晋三」という個人に定めているところだ。政権発足以来、中韓ともに安倍がジャマでジャマで仕方ないようす。だが直接手を下さない。行きすぎは国際社会にあやしまれる。ここはセオリーどおり「日本国籍を持つ市民」を使うほうが、都合がいい。
数ヶ月前、スマホのニュースアプリをぜんぶ削除した。ノイズの中におかしなものが紛れ込んでいると気づいた。くさいものにはふたをした方がいい、という場合もときにはある。
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