定期的に実家から写真が届く。
オトンが撮影した風景や花。大きく引き伸ばされ、パネルになっている。部屋に飾れということなのだろう。同じものは妹にも送られる。もはや壁はオトンの写真だらだそうで「どうすんのよ、これ」と電話で愚痴る。「貼らなきゃいい」とぼくが言えば、それができたら苦労はしないと、ため息をつく。律儀なのだ。モノを捨てられない性質(たち)でもある。
オトンの写真の腕前はプロ並みである。コンテストに出展すれば、たいていなにかしら賞をとる。そんなオトンに、パネルのお礼にと以前ウクライナで撮った写真をフォトブックにして送ってみた。すると翌月からますます写真が郵送されてくるようになった。対抗心かもしれないし、指導のつもりなのかもしれない。
ふだんつつましく暮らすぼくも、まとまったお金は旅行とカメラに消える。それで意外とするのが交換レンズ。安いものでも高級コンデジ並みはする。たまたま手に入れた50ミリ単焦点レンズ。これで撮った写真に感動して以来、すっかりはまってしまった。よく「レンズは資産でカメラは消耗品」といわれる。はじめ逆なのでは?と思ったが、いまならわかる気がする。
写真を撮るため旅などにも出るけれど、ふだんの暮らしの風景でも、ひょいとカメラを手にとり、画角を決めてからパシャッとシャッターで切りとる。だれも知らないどころか撮った本人ですら忘れ去られた写真が、知らず世界のどこかにあるサーバーにそっと保存される。オトンはそれがガマンならないのだろう。それでまた、わが家に作品としてのいちまいが届く。
たまには帰って来い
と写真がそう言っている。
家中にあるカメラを机の上に並べてみました。NikonやCanonをはじめ、いろんなカメラを保有してきたけど、人にあげたり、とちゅうで壊れたり、リサイクルショップに売ったりしているうちに残ったのはSONY製ばかり、でした。SONYのカメラが特段優れているわけじゃないんだろうけど、なんというかぼくにはしっくりなじむようです。
最近のコメント