日清戦争を学校で習ったのは小学6年生のとき。
このとき「遼東(りゃおとん)半島が日本に割譲された」というのにすごく反応した記憶がある。反応したのは「りゃおとん」という語感。いかにも中国語といった感じに、萌えた。教科書の挿絵だけでは位置や大きさがいまひとつわからなかったので、地図帳をひっぱりだして場所を確認した。思いのほかちっぽけな半島という印象だった。
そんなちっぽけな半島をもらってどうするんだろう?という気がしたが、冬でも凍らない軍港が欲しくてたまらないロシアにとっては宝物なのです、と先生はいう。さっそくロシアはドイツ、フランスを誘って日本を恫喝し、遼東半島を清に返還させた(三国干渉)。戦利品を奪われ、日本国内世論は騒然。相手がロシアでは切歯扼腕するほかなかった。清はロシアに感謝し、返礼として遼東半島の一部を提供し、さらに満州の鉄道の敷設権を言われるまま差し出す。こうして遼東半島の大連はロシアの貿易港に、旅順はロシアの軍港となった。そのうえ南満州に鉄道が敷かれ、シベリア鉄道と結線した。これで首都ペテルブルグと旅順まで機関車が行き交うようになった。鉄道に乗って軍事物資がつぎつぎと運び込まれ、あっという間に満州はロシア軍の勢力圏となった。
▲ 日露戦争直前の東アジア 満州はほぼロシアの勢力圏であった
日本海と渤海をはさむ旅順にロシアの軍港ができ、ロシア極東艦隊が居座った。その艦隊が目指すのは日本にちがいない。いわくつきの遼東半島。もうひとつの半島、朝鮮では「強いものにつく」民族性もあって、日本を見下しロシアにつこうとしていた。満州に加え、朝鮮半島までロシアの勢力圏になれば、次は日本が狙われる。それが20世紀のはじめの東アジア情勢だった。
ときの宰相ロシア皇帝ニコライ二世は、日本をサル呼ばわりしていた。なにしろ国力は9倍。軍事力はもっと差がある。民族的にも劣るたかがアジアの小国、日本などとなめきっていた。1900年代、アジアやアフリカはヨーロッパやアメリカの植民地のことであり、清や大韓帝国も、それぞれ列強に虫食いされている状態だった。開国してまもなく清との戦争には勝った日本も、相手がロシアじゃ勝ち目なしと、当時世界のだれもが思っていたのだ。
1904年、日本はロシアに打って出た。
あとは歴史の知るところである。遼東半島は激戦地となった。旅順港は入江に囲まれた天然の軍港。守るに易し攻めるに難い。周囲に平地はなく山だらけ。そこにロシア軍はコンクリートで固めた要塞を築き上げていた。同じことを10年前に清国軍もやったが、日本軍に1日で落とされている。このとき日本側の戦死者200人強。司令官は乃木希典であった。
こんどの戦争の相手はロシア軍、前のようにはいかないはずだ。とやはり指揮官の乃木希典は思ったが、事実そのとおりだった。二度にわたる総攻撃を日本軍はやったが敗退、戦死者は1万7千人を超えた。大損害である。ロシアは日本にはない機関銃を持っていた。旅順港には無傷の極東ロシア艦隊が停泊していた。バルト海を出港した40隻ものロシア・バルチック艦隊がこちらに向かい、この極東艦隊と合流して攻撃を受ければ日本艦隊は、いかに善戦しようと壊滅である。
バルチック艦隊が日本近海にやってくる前に旅順要塞を落とし、停泊するロシア極東艦隊を撃滅しなければ、日本艦隊はふたつのロシア艦隊に挟み撃ちとなり壊滅。次は丸腰の日本本土に向かうだろう。となれば東京、大阪など湾岸都市は艦砲射撃で破壊される。ロシアに負ければ日本はただでは済まない。敗れたその後の日本は、いったいどうなっていただろう? 歴史にIFはないが、よく「太平洋戦争で日本が勝っていたら?」的なものはよく架空小説のテーマとしてあげられる。同じく「もし日露戦争で日本が負けていたら?」というフィクションがあれば読んでみたい気がする。
▲ 遼東半島の位置、旅順はその先っぽにある
当時はまだ日英同盟があったから、日本全土がロシアに完全に支配されるとは思わないけれど、いくつかの領土、例えば北海道や九州、本州の一部は割譲されたか租借地になっていたのではないか。日本は弱体化し、内戦で国土が荒廃していたかもしれない。もちろん太平洋戦争も起こらなかっただろう。とすればアジア諸国が列強から独立するすべはなかった。ロシア革命も回避され、今も日本を悩ますコミンテルン後継の存在もなかった。その後の世界は完全に今の世界とちがうものになっていたはずだ。欧米列強による植民地支配はその後も続き、100年経った今もまだ終わっていないかもしれない。
史実は、ロシアの旅順要塞は日本軍の手に落ちた。占領したばかりの203高地に日本の沿岸砲だった28インチ榴弾砲を据え付け、そこから撃ちおろす砲弾で、旅順港に停泊するロシア艦隊を次々に沈めた。
1905年1月。あの旅順の地での戦いに日本側が敗れていたら、いまの世界は今の世界ではなかった。これまで外国人は立ち入り禁止区域だった旅順。数年前に開放され、いまなら日本人も行けるのだそうだ。そう聞いて、居ても立ってもいられない性分である。
さっそく次回更新は旅順からお届けします。
というわけにはいかないだろうけど。
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