かつて「万引き」といえば、
非行少年がするものと決めつけていた。カネもないし、分別もない。それがいつのまにか3人にひとりは65歳以上の高齢者。その検挙数、20歳未満のそれを超える。
暴力事件も増えた。20年前のなんと45倍も起こっている。酔って酩酊したというより、些細な事でキレる老人。ぼく自身なんども役所や病院で声を荒げるのはたいていおじさん。自分がぞんざいに扱われたことを怒るが、係の人はていねいすぎるほどていねいである。あれで腹をたててるようじゃ中国では生きていけない、と思った。
ストーカー犯罪も増え続ける。
老若男女それぞれ増える傾向にあるが、高齢者の場合、加害者は男性、被害者は女性というパターンが多いようだ。
仕事一筋に打ち込み、激しい競争社会を生き抜いてきた男たち。それなりに出世もした。いや出世したからこそ、その落差に愕然とする。自分は用済みか?と。もとより地域コミュニティにも参加せず、会社ばかり行っていたのだ。
孤立感は深まり、妻がいれば妻に、子がいれば子に穴埋めをしようと依存する。だが家ではジャマがられる男たち。「朝ごはんと夜ご飯はいいとして・・」と、先日離婚を決意したある主婦は言う。「昼ごはんまで作んなきゃならないことに耐えられなかった」
拒絶されることに慣れてない。
それなりに会社人生を過ごしてきた男たちに共通するのはそれだ。会社というタガが外れ、自分を咎めるものが目に見えない。本性だってむき出しになりやすくなる。サラリーマンたちは社会へのコミットのほとんどを、会社の就業規則で代用していたのだから。朝から自分を縛るものはなくなったが、同時に自分を承認してくれる場所もなくなった。拒絶に慣れないのは、孤立に耐えられないことでもある。「自分にもっとかまって」という気持ちが、ふと自分に優しい言葉をかけてくれた女性に向かう。ストーカー行為の萌芽は、とてもささいなきっかけだったかもしれない。
寂しさを埋めたい。
自分を認めてもらいたい。
そのために増える犯罪が蝕む社会。
それを批判したり笑うことはカンタンだが、自分がそうなるのもまたカンタンなのかもしれない。
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