ぼくはいわゆる「おばあちゃん子」で、8歳から10歳までは祖母と暮らした。記憶ではもっと長くいた気でいたが、実際にはふたつの冬と夏をみっつぶんである。そのころオトンは仕事がとても忙しく顔を合わすのは休日だけ。家ではほとんどの時間を祖母と過ごした。
ときどき祖母は、戦争のときの話をしてくれた。戦時中の祖母は20代。後に父親になる男児を産んで間もないころである。ぼくが子供のころはまだ防空壕が残っていて、祖母たちが実際に利用したものもあった。従兄弟たちと探検ごっこをするのにうってつけである。危ないから近づくなと言いつつも、祖母も一緒に入り、ここがどんなようすだったかを話してくれたこともあった。
「その山のむこうからね」と祖母は腕を伸ばして近くの山を指さす。「グラマンが2機、低空飛行でやってきて、ホンマ木にぶつかるんじゃないかってくらい低く飛んできて・・」と手のひらを下にして、すーっと横にすべらせながら「バリバリバリバリーッ!ってすごい音をたてながら私に向かって飛んできたのよ。夢中で走って逃げてたら、男の人が走ってきて私の頭をつかんでね、地面に伏せさせて、そのうえにかぶさって、私をね、守ってくれたのよ・・」
ぼくは空を見上げ、そこにグラマンなるものが飛んでいるところを想像してみた。けれどもうまくいかなかった。まずグラマンがどんなものなのかわからなかった。あとで知ったグラマンとはF6Fヘルキャットのことで、日本近海に現れた航空母艦から発進したのだろうと想像がつく。B29の護衛かもしれないし、威力偵察だったかもしれない。ヘルキャットは米海軍で初めて日本のゼロ戦を上回る高性能量産機で、武装は13ミリ機銃が6つ。人間の体に一発でも当たれば肉をひきちぎりながら大穴をあける。人ひとりが身を挺してかばったところで防ぎようがない。アメリカの艦載機がそのように広島の片田舎にまで飛んできて、おもしろがって住民に機銃掃射を浴びせていたのなら、戦争末期の1944年か1945年の原爆投下までの間に違いない。そんな敵機を迎え撃つ日の丸戦闘機は少なく、あっても搭乗員が未熟で非力であった。高射砲も精度が悪く、おまけに都市部に集中して配備され、とてもこんな田舎に飛んでくる敵機など圏外。せいぜい空襲警報を発し、住民を防空壕へ避難させるのがやっとである。
「戦争中、だんだんと男の人は少なくなってね」と祖母。「いても年寄りか子どもばかり。それでも内地に残った男の人は一生けんめい女を守ってたんよ」と話す。「私を助けてくれた男の人もおじいちゃんだった。これはもう、男の本能みたいなもんじゃね」そこで祖母は、暗い防空壕の中でぼくの手をつかむ。女の人を守るのが男の本能。そんなのあたりまえじゃん! 子どものぼくにはそう思えた。正義のヒーローはみんなそうだ。
やがて大人になるにつれ、それはとてつもなくたいへんなことだと思うようになった。自分の大事な女性ならともかく、見ず知らずの通りすがりの女性をも、身を挺して守るのである。しかも本能で。とっさに身体がそう反応するだろうか? ふだんから満員電車では痴漢に間違われないよう、ほぼ無意識に若い女性のそばから離れて立つ。最近では、女子高生に道を訊くだけで「不審者」として通報されると知り、迷っても女性に道を訊くまいと心に決めている。
いまもときどき空を見上げ、おばあちゃんの話してくれたグラマンが飛んでくるところを想像する。とっさにぼくは近くを歩いている女性をかばうどころか、反対に避けてしまうんじゃないか? むしろおじさんのほうへ駆け寄ったりしないだろうか。女性を避けるのが本能になっていたら悲しいことである。
そうならないよう、ふだんからとっさに見知らぬ女性の上に覆いかぶさる練習をしておこうかと思ったが、やめておく。
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