2014年の流行語大賞にも選ばれた「集団的自衛権」。どことなく、同時に選ばれた「ダメよ〜ダメダメ」に合わせたかっただけなんじゃないかと、主催者側の恣意さが感じられる。大賞という記録はあとに残るだけに、だいじょうぶだろうかと思う。
国連加盟195カ国が共通してもつ「集団的自衛権」。もちろん日本にもある。日本のそれが世界標準と違うのは「保持するが行使しない」という縛りを自ら決めていることだ。この縛りを解き、「(限定的に)行使できる」ようにしたのが、第二次安倍政権の閣議決定である。これに対して百家争鳴。賛否両論。子どもたちを戦場に送るな、みたいな論調もあってものものしい。
集団的自衛権という意味は、仲間が敵に攻撃された場合これに応戦するとある。逆に、自分が攻撃を受けた場合、仲間に助けてもらうことを担保する。だから国連でもそう決めているのだろう。「行使しない」ということは「行使してもらえない」ということだから。ある意味、村八分の状態である。
そもそもいつごろから「保持するが行使しない」というルールが作られたのだろう?戦後日本、特に自衛隊が作られて以降、集団的自衛権の行使がどうのと言った議論は特になかった。日米安保条約のさなか、1960年の国会で岸首相が「一切の集団的自衛権が行使できないというのは言い過ぎである」と答弁したのがそのころの解釈だ。同じ年 日米安保条約が結ばれ、そのことでアメリカの戦争に日本がまきこまれるのでは?という世論の心配に配慮している。当時世界は資本主義と共産主義、右派と左派、西と東、世界も世論もまっぷたつに割れて闘争し、争われ、アジアでは朝鮮戦争は休戦したものの、新たな戦争がベトナムで始まろうとしていた。
「保持するが行使しない」とする解釈が明確にでたのは、1972年の10月に内閣法制局からだされた「わが国は国際法上いかなる集団的自衛権を有しているとしても、国権の発動としてこれを行使することは憲法の容認する自衛権の措置の限界を超えるものであって許されない」という一文からである。
時の首相は、田中角栄であった。
1972年の10月といえば、「日中共同声明」によって中国との国交が正常化した翌月である。それが「集団的自衛権は保持するが行使しない」こととなんの関係があるのか、ここでピンときた人もいるかもしれない。
想起されるのは、周恩来とキッシンジャーの秘密会談。おこなわれたのは、日中共同声明のちょうど一年前の1971年10月であった。最近明らかにされた内容によれば、周恩来がアメリカに求めていたのは「日本の中立化」で、これは日米安保条約の破棄と在日米軍の撤退を意味する。奇しくも日本の学生運動が主張していたことと同じだった。ただし中国がそう主張しているのは平和を求めているというより、自分たちの外国進出のジャマを日本にさせないという思惑である。よって台湾や朝鮮半島問題に日本を関与させるなともアメリカに求めていた。「もちろんだ」とキッシンジャーは答える。そして在日米軍が必要なのは、暴走する日本を封じ込めておくためだと説明した。
集団的自衛権の行使を認めないことを明白にした1972年以後、日本では奇妙なことが起こりはじめた。ひとつは北朝鮮拉致事件である。最初の拉致被害者は三鷹市役所に勤務していた久米さん。実行犯である在日朝鮮工作員が警察に逮捕され、自宅からは暗号表など証拠品が押収された。だがなぜか政府中央の圧力により工作員は釈放。マスコミも沈黙した。それから1か月後、米子市の松本さん、さらにもう一ヶ月後、横田めぐみさんが拉致に遭った。次々に拉致被害者は増大していく。最初の久米さん拉致事件を堂々と報じ、対処していれば次からの被害は防げていたかもしれない。国民が国家ぐるみで拉致されているのに、国は何もしない。どころかもみ消す。マスコミは沈黙し、北朝鮮による拉致そのものを否定していた。自衛隊機はそれまでふつうに竹島上空のパトロールをしていたが、いつしか縮小され、やがて飛ばせなくなったのも1970年後半あたりからである。
南京大虐殺や三光、731部隊など、日本軍による中国大陸での暴挙がさかんに新聞に載りはじめたのも1972年を境にしてだった。周辺諸国に対して日本人の贖罪意識が生まれ、戦争や安全保障に対し、議論すらしづらくなった。80年代になってからは、それまで普通に行なわれていた首相の靖国参拝にも影響し、いつしか国際問題に発展するようになった。従軍慰安婦問題が躍起され、日本の子どもたちに教える日本の歴史教科書なのに、他国からの指摘に影響されるようになった。
1972年、周恩来はキッシンジャー会談のあと、田中角栄になにを話し要求したのか?それすらまだ明らかではないが、日中国交正常化をエサに、ODA(現在までに3.65兆円)などさまざまな見返りに応じたのは確かだろう。それ以上に疑わしいのは、その後の日本はまるで中国がやることをジャマしないよう気遣いをするように国内の安全保障に縛りを与えるようになったことだ。たとえば自衛隊の主力戦闘機F-15、米軍オリジナルに対し、わざわざ航続距離を短くしたり爆弾が積めないなどの「劣化版」に仕立ててある。
安倍さんが叩かれるのは、40余年来これまで積み上がっているそんなルールを変えようとしているからではないか。中には「安倍さんは経済に専念すべきだ」と言う人がいる。さもありなんと思ういっぽうで、一国の首相なんだから経済も外交も安全保障も全方位やるのは義務ではないか。日本を攻めようとする国があるとして、「日本はいま経済に専念してんだからそれまで攻撃を待ってやろうよ」とはならない。せいぜい「弱いうちにつぶしとけ」である。厳しいのだ。弱いほうが攻められやすく、強いほうが攻められにくいのは、国や時代が違えど共通である。
日本を攻めると周りの国からも攻められるかもしれないと思わせておく「集団的自衛権」は、抑止力になるとぼくには思える。ちがうんだろうか?
自国の国民と財産を諸外国から護ろうとするときまって自国民から反対の声が上がる。反対しそうな周辺国にも声をかけ、いっしょになって反対する。おかしな国だよニッポンは。もしぼくが外国人ならきっとそう思う。
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