日本が外国の侵略を受けなかったのは周囲を海で囲まれていたからとよくいわれる。だが、それだけでは同じ島国のフィリピンやインドネシアがなぜそうでなかったか説明がつかない。ひもといてみれば、かの国々がスペインやオランダの植民地となったのは16世紀か17世紀初め。日本では戦国時代が終わり、徳川幕府が始まるころであった。大航海時代はさらに19世紀半ばまで続く。信長や秀吉の時代ならともかく、武装を解いた平和な江戸時代である。列強は他のアジア諸国同様、攻め落とそうと思えばできたのではないか。
列強、つまりスペイン、オランダ、ポルトガル。イギリス、フランス、ロシア、遅れてアメリカ・・ 彼らが求めたのは資源、とりわけスパイスであった。腐りかけの、鼻がまがるほどの臭い肉。これを食べるには殺菌と消臭を兼ねるスパイスが欠かせない。それは希少で、地元ヨーロッパ大陸にはないものだった。となれば生産国と交易するのがふつうだが、諸国群がり高騰し、スパイスは宝石並みの値がついた。これに音をあげ、てっとり早く奪おうと、まだ他国の手がついていない未開地を求め、広く、遠く船を出した。神父も同伴させ、キリスト教の布教という大義をもって先住民の文化文明を上書きし、お布施代わりにお宝を奪い、女子に乱暴し民族浄化も行った。人身売買も盛んで、黒コショウなどは同じ目方の奴隷と交換した。
ヨーロッパ人は同じ時期、日本に何度も訪れている。
そんな日本は鎖国中。かといって「じゃあまたこんどね」と帰ったりはしない。強面の彼らが日本攻略を後回しにしたのはそこに「めぼしいスパイスが見つからなかったから」ではなかったか。わさびも山椒もヨーロッパ人の味覚にそぐわなかったことも幸いした。「得るものはなし」と優先順位が下げられた。そのうち今度は諸国同士で争い始め、新規開拓している余裕がなくなった。やがてアメリカに目覚めさせられた幕末日本が開国し、あっというまに清やロシアに勝つほど強国になってしまった。加えて19世紀半ばには肉の冷蔵保存が発明され、保存剤としてのスパイスは必要なくなった。
住む土地で採れるものを食べ、なければ隣と仲良く交換。環境も荒らさない。近江商人の「三方よし」の精神である。大航海時代のヨーロッパ人たちはそうではなかった。スパイスの生産地はことごとく搾取され、スパイスの成る土地の人々は、血なまぐさい目に遭うことになった。たとえ大陸であろうと高原であろうと島であろうとも。
日本がもしスパイスの産地だったなら歴史は変わっていた。
当時スパイス、いま資源。
資源もまた、もたざる国なのが幸いしたかもしれない。
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