餅は英語でライスケーキと訳される。
ドイツ語ではライスクーヘンとなる。初めて餅をドイツ人に説明するとき、どうしてもクーヘンなどと置き換えるのがイヤで、「モチ」とそのまま伝えた。そばにいた別の日本人があわてて「ライスクーヘンですよ」と言い換えるのを、冷ややかに睨みつけた記憶がある。
餅は餅屋、餅は餅である。
バウムクーヘンは日本でもバウムクーヘンだし、パイはパイである。わざわざ訳さずとも、いや、訳さないほうがいいのだ。ちなみに「もちをつく」の「つく」を英語でパウンドという。さしずめパウンドライスケーキ、ますますイメージからそれてしまう。原料は?と訊かれて初めて「スティッキー(粘りのある)ライスだ」とでも答えればいい、とまだ小僧のぼくは思った。
あのときの記憶はざらりとした感触とともに残る。遠い昔から神殿に供えたり、正月などの祝い事に欠かせない日本の餅を、いともかんたんに「ケーキ」と訳す無神経さに憤りのようなものを感じたし、そこまでして外国人におもねる必要があるのかと疑問がわいた。
加えて餅特有のあの粘り。
原料のもち米は日本以外にも中国、朝鮮半島、台湾、東南アジアに広く栽培され、それぞれ祝い事で食べられる。照葉樹林文化の共通点でもある。後に各地でもち米から作られた料理を食べてみたけれど、日本の餅のようにのびるほどの粘質はなかった。あの「のび」を表現するのに「ケーキ」では、あまりに不適切。これじゃ外国人だってとまどう。ケーキと言われ、ひとくち食べておどろくだろう。グミかこれは!と。「ポタージュに入っていたが、あれもそうか?」とフランス人は言う。雑煮のことだ。いずれにしてもケーキ(ガトゥ・ド・リ)というべきではないのだ。
ちなみにぼくが生まれて初めて餅つきの経験をしたのは、まだ西ドイツと呼ばれていたころのデュッセルドルフでのこと。言うわりに遅い。日本航空が催した正月イベントだった。同じ年の8月、御巣鷹山に日航ジャンボ機が墜落するが、もちろんそんなことを知る由もなく、イベントは盛大におこなわれた。そして二度とおこなわれなかった。
餅は餅だ。ケーキではない。
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