避けがたく小さな文字が読みづらくなった。
A4サイズの文字びっしりな資料をA3に拡大コピーし、文芸春秋の文字が大きくなったことを密かに喜ぶ。タブレットの文字列をピンチアウトして拡大し、パソコンの画面で同じことをしそうになる手をあわててひっこめる。細かいことはもういいから大局を見据えなさい、という天の声なのかもしれない。街の店頭に大画面5インチのソニー製のスマホをみつけ、買い替えようかと迷うことも。
次のiPhoneはデカいらしい。
と耳にしたのは半年前。ならばとソニー製スマホはあきらめ、待つことにした。その間、ソニーはスマホ不振で2300億円もの大赤字が発表され、なぜか申しわけない気分になる。ようやくソフトバンクから確保できたと知らせがあり、オンラインで注文。サイズは迷わずデカいほうにした。6のあとにPlusがつく。色はシルバー。iPhone発売開始以来、白と黒を交互にと決めている。金の延べ棒のようなゴールドにも心揺れたが、ガウンをはおった腹の出たおっさんのイメージがちらついてやめた。
注文したiPhoneが届いた。
箱を開けるとデカい画面がこんにちは。ぺたんと薄い。ピッツァ・アル・タッリオ(四角いピザ)を思わせる。掌にのせ、ふちの丸さにホッとする。角が指にひっかからない。それは愛でてやまなかった初期モデル3Gを思わせる。角が立つ、立たない。まるで人間関係のようではないか。流転するうちに角がとれていく、そんな人生のようでもある。
同じ6でも4.7インチモデルと5.5インチモデルではまるでちがう。4.7インチなら片手で入力操作も可能でiPhone 5Sからの、いわば正当な進化。いっぽう5.5インチ6 Plusのほうは、画面の大きさと引き換えに片手での操作を諦めたiPadのカテゴリー。ポケットに入るiPadである。ただし海外では尻ポケットに入れているだけで曲がってしまったという報告もある。 尻のカタチに自信のある人は、注意が必要だ。
▲ 上がiPhone 5s、下がiPhone 6plus。画面の違いは歴然。写真もずいぶん見やすい。
▲ 同じく前モデルとの比較。新聞も読みやすい。
▲ 同じく電子ブックを表示比較。これならiPad miniの代わって電子ブックリーダーになりそう。
まだ前モデルの感触が手に残る間はしばらく大きく感じても、やがては慣れてしまうのだろう。ひとは移ろい、慣れる生きもの。だけど、いくら慣れても片手で入力できないことにはかわりない。そのことでiPhoneをとりまくスタイルがいくぶん変わるかもしれない。ボディが大きくなったぶんスピーカーからの音がよくなった。バイブの鳴りも力強い。
2014年9月に行われたApple主催の恒例のイベントではiPhone 6 のほか、Apple Watchも紹介された。今後は「肌身離さず」的な仕事はこれが代行し、iPhoneはバッグに入ったままというシーンも、来年以降は増えるかもしれない。
残念なのは、同時期にリリースされたiOS 8 (基本ソフト) の出来の悪さ。公式サイトには「これまでもっとも大きな iOSのリリースです」とある。だからか、アップグレードしたとたん全体的に動作は重くなり、これまで何の問題もなかったアプリの動作が不安定になる。標準アプリの「写真」ですらまともに動かなくなった。長年iPhoneを使ってきたが、こんなにひどいiOSは初めてである。ハードウエアの性能が上がっても、OSがこれに水を差す。故スティーブ・ジョブズならば決して許さないであろう。もっとも5.5インチものデカいiPhoneを出すことも許さなかったはずである。市場にニーズがあるかないかではなく、ユーザーに使い方を迷わせる商品をジョブズは嫌った。今回のiPhoneの発表は、先行するアンドロイド端末に惑わされたという見方もある。はたしてこれからもアップルは、iPadだけでなくiPhoneまでも2サイズ用意し続けるのだろうか?
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