ドイツ時代、パスタばかりゆでていた。
量のわりに手頃だったからだ。
米、そば、うどん、どれと比べても安かった。
安くすむぶん、ゆで方にはこだわった。日本人の誇りにかけてこだわった。「コシのある麺」とは、麺大国日本におけるプリンシプルである。ドイツ人やアメリカ人、イギリス人が簡易食堂などで食べるパスタはふにゃふにゃして、ぼくには小学校の給食に出ていた「ミートソーススパ」以下のシロモノに思えた。もはや日本人なら小学生でも知っている「アルデンテ」という単語など、麺がふにゃふにゃの国に住む人たちの知るところではない。本国イタリアを除いては、知っているのは日本人くらいじゃないかと思う。どうだまいったか、日本のすごさを!などとカラ威張りりしても始まらない。日本人だって「アルデンテ」がどうのこうのと言い始めたのは、80年代終わりのバブル期あたりからである。本国イタリアですら、パスタなんてもともと1時間くらいゆでていた。つまるところ、アルデンテの歴史はとても浅いのだ。
アルデンテの”デンテ”。
意味するところは「歯」である。そういえば英語で歯医者はデンティストだ。思わず「歯のように固い」と解釈してしまいそうだが、前置詞”アル”があるから、「歯ごたえが残るように」という意味になる。なんともビミョーな表現ではないか。パスタを噛み切るとき、歯に芯が当たるような感触。ここでいう芯を「髪の毛一本ぶんの太さ」という人もいるし、木綿糸くらいというひともいる。かつて読んだ分厚いパスタの本には「木綿糸と絹糸のあいだくらい」と書かれていた。そんなミクロン単位の識別を、歯が噛み分けられるとは思えないのだけど。
本来、パスタなど小麦粉食品はやわらかくゆでたほうが咀嚼しなくてものみこめるし、消化にもいい。内臓への負担も少ない。効率よくエネルギーが吸収できるのだ。飢餓も多く経験した人類の長い歴史からすれば、効率の良いエネルギー摂取はもはや生存本能である。生きるために食べるのなら「やわらかいパスタ」のほうがいい。日本にパスタが普及し始めたのは戦後まもなくだが、当時はもちろんふにゃふにゃになるまで茹でられていたらしい。栄養の吸収はいいし、なにより腹持ちする。
食べていくのが精一杯の時代では栄養吸収を求めてやわらかめ、逆に飽食の時代では刺激を求めかために、ということだろうか? となれば飽食の時代といわれ、刺激を求めて乱舞したバブルの時代に「アルデンテ」が普及したのは偶然ではない気がしてくる。金欠だったぼくがパスタをゆでる理由とはまた別に、パラダイムシフトは起こっていたのだ。
アルデンテに茹でるコツは塩かげん。
ゆで水に入れる塩が多いほどパスタはかたくなり、少ないほどやわらかくなる。塩は関係ないという調理師もいるけれど、ぐうぜん知ったぼくとしてはなかなか感慨深いものがあった。ぼくは調味料や材料を量りにかけたりしないタイプだが、パスタをゆでる塩の量はお湯1リットル当たり25gと決めている。パスタの量やゆで時間にかかわらず、このくらいがグルテンへの働きかけが具合よく、パスタに残る芯の太さがちょうどいい。
今日のひろいもの ~ Spaghetti, Aglio, Olio ~
ドイツ時代は、パスタの種類によっていろんなものに代用した。焼きそばやうどんはもちろん、ラーメン、そうめん、パエリャにお粥。でも一番好きなパスタは、ゆでたスパゲティにオリーブオイルで炒めた鷹の爪とニンニクをさっとあえ、あつあつのところにバターをひとかけら乗せたもの。焼きそばは具だくさんが好きだけど、なぜかスパゲッティは具が少なければ少ないほど好きである。
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