2分遅れたことを詫びる車内アナウンス。
複数の鉄道会社の乗り入れなど、あんなにも複雑な電車の発着を分刻みで行える技術力やきめ細やかさ。そんな大量輸送システムを運営していながら、わずか2分の遅れで陳謝する謙虚さ。なんて日本はすごいんだ!と、帰国するたびにいちいち感激していたものである。ほかの国の輸送システムは、そもそも時刻表がない。「5分間隔で運行中」とアナウンスする程度。せいぜい時間帯によって間隔を短くしたり長くしたりするくらいだ。乗客にしてもそんなものかなと思っている。だから外国人も時刻通りに来る日本の地下鉄に感激して帰る。
だけど、そもそも1~2分の遅れで乗客に謝らねばならないのか、と思う。先日などは、電車が遅れたことで「どうしてくれるんだ。あやまれ!」と駅員に詰め寄る乗客の姿すらあった。きっと遅刻しそうだったのだろう。だが、たった数分の電車の遅れで遅刻する本人の時間感覚にまず問題がある。余裕をもって出かければいいだけのこと。お詫びのアナウンスは、前もってクレーマーの溜飲を下げておこうということか。だとすれば悲しい話である。乗客は自分のミスを立場の弱いものにぶつけ、鉄道会社は批判を恐れて過保護なアナウンスをする構図が浮かんでくるからだ。駅構内のポスターに「駅員に暴力をふるう人が増えています」と書かれていた。
先日久しぶりにタクシーに乗った。
感じのいい運転手だったし、いつものように「ありがとうございました」といい車を降りようとすると、「お礼を言われるお客様は少ないからうれしいです」と運転手がいう。さっきまでサービスについて話をしており、その流れのつもりだったかもしれない。聞けば、礼を言って降りる客は10人に1人もいないとのことだった。
消費者は「より良くより安いサービス」を求めてくる。そんな要望にすべて応えようと企業も努力し「安いのにすごく良い商品(サービス)」が生まれる。ライバルも負けじと出してくる。客が取られないよう、出さないわけにはいかない。サービスや商品スペックは高いまま、値段を下げる。それで低価格・過剰サービスがどんどん生まれる。消費者にとってはありがたい。だがそんな企業努力で犠牲になるのはコスト。仕入先はより買値をたたかれ、従業員はより安い賃金でより多くの仕事をさせられる。昨今話題になっている中国製チキンはこれの「なりの果て」ではないだろうか?また「ブラック企業」を生んでいるのも、ひいては正規雇用が増えないのもそのためじゃないだろうか?と、そんなふうに思う。
ぼくたちは消費者であり生産者である。
ぼくたちの払うお金は別の誰かの収入になり、ぼくたちの収入もまた別の誰かの払うお金があればこそである。払いが減れば収入も減るし、収入が減れば払いも減る。つながっているのだ。サービス要求が高すぎることのひとつに、「金を払うものが上」ととらえるふしがあるからだろう。「客なんだから」と、横柄な態度に出る人もいる。「お客様は神様です」という死語が蘇る。でも、お客様は神様じゃない。人間である。
良き消費者であること。
払うべきところでちゃんとお金を払い、店員や販売員に「ありがとう」とお礼を言う。感謝には感謝が、怒りには怒りが返ってくるのが人間社会。やったことは自分に返ってくるし、情けは人のためならず、自分や自分たちのためでもあるわけだから。
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