広い世界の拾いもの更新しました。
旅から戻って一週間。
あわただしい日々を送っていると、旅行のことなどすっかり忘れる。ブログのことも忘れてしまっていた。ふいにアルジェリア航空機が失踪したというニュースが目にとまる。そういえば一週間前は同じ航空会社の機に、いろんな場所に連れてってもらったのだった。
▲ ガルダイア空港でこれから乗り込むアルジェリア航空機を
アルジェ最後の夜くらい、ちゃんと食事をしたいと思った。日暮れどき、ぶらぶら通りを歩いていると、人だかりを見つけた。日も沈んだ薄明かりの簡易食堂の前、店のシャッターは半分ほど開けられ、中の様子が少し見える。長いテーブルの左右に丸いすがずらりと並べられ、店の人たちがあわただしく食器をテーブルにセットしている。
並んでいる人に訊くと「食事の用意ができるのを待っているんだ」という。ほとんどのレストランが店を閉め、多くの人たちは家で食事をするのがラマダン期間はふつうなのだけど、ここだけはそんな事情がかなわない地元の人たちにむけ、食事が用意されているようす。アラビア人のほかベルベル人、黒人などもいる。おもしろそう。ぼくもそこに加わることにした。
▲ 店が開くのを待つ人たち
やがて店のシャッターが開いた。人々はぞろぞろと店の中にはいっていき、ぼくもそれにならった。テーブルの奥から順に詰めて座り、あたりを見回し、それからテーブルの上に並べられた食事をみる。スープ、ゆでたじゃがいもをくりぬいてひき肉を詰めた料理、ナツメグ、揚げた春巻きのようなもの、バケット。だれもまだ食事に手を付けない。とくに会話もない。「まだ食べないの?」英語で聞いてみたが無視された。あらためて店の中を見渡す。東洋人はぼくだけ、かなり浮いた存在である。液晶テレビが壁にかけられ、何やらお祈りのような番組が映されている。5分たった。まだだれも食事を口にしていない。なん人かは、スプーンでじゃがいもを切ったり、バケットを一口サイズにちぎったりしていた。だがそれを口に入れるものはいない。ただじっと、その時が来るのを待っている。お祈りが終わるのを。
テレビは雲の上の様子が映しだされ、独特の節でやはりお経のようなものが流れている。時計を見ると、店に入ってから15分が経っている。目の前の料理はどんどん冷たくなっていく。人々はそれほどありがたくお祈りを聞いているようではなかった。ただ「よし」と言われるのを待つ犬のように、じっとテーブルの上の皿を見つめていた。
やがて画面の「雲の上」が初老の男の姿に変わった。お祈りが終わったようである。おもむろに男たちがカチャカチャとスープを啜りだす。じゃがいもをフォークでさし、口に運び始めた。だれもなにも言わない。ボナペティ!(フランス語で”召し上がれ”の意味)と言ってみたが、これも無視された。ただ黙々と食べ物を口に運び、コップに水やコーラを注いで飲んでいる。空腹にまずいものはないが、かといって美味しいとも思わなかった。だた黙々と、空っぽの胃にものを詰める。
異様な光景である。
店の中には60人を数える人々がいるが、だれも喋らずただ咀嚼するだけ。
いたたまれなくなり、店の人を呼び勘定をすまそうとした。ヒゲの店員は訝しげにぼくを見て「お金、いらない」と手をはらうようにひらひらさせる。
ということは、つまり・・
ここは異教徒や観光客が来るべき場所ではなかったのだ。同時に敬虔なモスリムたちがくるところでもないのだろう。それはお祈りの時間の態度を見ても明らかだった。
▲ 食事をしていた店。ラマダン期間がすぎればピッツァリアとして営業するのだろう。
店を出る。すでに何人かは食事を終え席を立っていた。思いのほか涼しいアルジェの夜。乾いた風がアパートのバルコニーに出されたままの洗濯物を揺らす。味も後味も悪かった。ぼくは払いそこねて握りしめていた500ディナール札を、通りで親子で物乞いをしていた母親の手のひらに置いた。彼女はおどろいた目でぼくを見るが、もちろん礼は言わない。
まだ、そんなに通りに人は戻ってきていなかった。ようやく外にテーブルを出しているカフェをみつけ、椅子に座る。コーヒーを注文すると、なぜか缶コーラが出てきた。かまわずプルリングを開けて一口飲む。甘すぎる。あらためてコーヒーを注文する。手でカップの形を表現しながら・・
▲ アルジェリアの郵便ポストは黄色かった
たぶん、一週間たてばこの時のようすを東京で思い出すに違いない。とぼんやり思い、あたりの景色を網膜にすりこみながら、こんどこそ出されたコーヒーを一口飲む。期待どおり、コーヒーは舌に刺さるように苦かった。
そろそろアルジェリアでは
ラマダンが終わるころである。
▲ ボンソワール!この距離からでも挨拶は交わされる
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