初めてベッザウイさんと東京へ出張したのは1999年のこと。当時ぼくはヨーロッパ産のIT商材を日本市場に売り込む仕事をしていて、彼はドイツで半導体製品を作る製造会社の社長さん。ふだんの商談は営業部署のメンバーたちに任せる彼も、パリと東京への出張だけは社長自らついてくる。そのときも「東京は世界一料理が美味い」とご機嫌であった。フランス語訛りがあるのでしばらくフランス人だと思っていたら、あとでアルジェリア出身のフランス人と知った。
「首都アルジェで生まれ、8才までそこで育ったよ」
品川のホテルでパスタを食べながらベッザウイさんは言った。ランチだったが飲み物はもちろんワインである。「それから両親に連れられマルセイユに渡った。同じ年の秋にアルジェリアで戦争が勃発したんだ」アルジェは教会もモスクも海もある。ファンタスティックな街だよと。「知ってる」とぼくはいう。そんなアルジェリアに機会あれば行きたいと思っていた。だが美しい花にトゲがあるように、アルジェリア入国にはビザが必要で、容易には発給してくれない。アルジェリア民主人民共和国の名のとおり、外国人には開かれていない国。イスラム原理主義過激派武装集団の活動などで、政情不安でいつも内戦やらテロばかり起こっていた。残念だ。とぼくがそういうと、ベッザウイさんは悲しそうな顔をして、わしももう何年も国に帰っていないと言った。(アルジェリアで国家非常事態宣言がようやく解除されたのは2011年のこと)
「異邦人」や「ペスト」などで知られるアルベート・カミュが1960年、交通事故で亡くなったとき、持っていたカバンの中から書きかけの小説が発見された。「最初の人間」。はからずもこれが遺作となった。彼の自叙伝でもある。数年前に映画化された後、ぼくも観た。ストーリーもさることながら、主人公が幼い頃に過ごした地中海に面した白っぽい街の美しさが印象的だった。アルジェリア出身のカミュが生まれ、幼少時代を過ごした地中海沿岸の都市がロケ地である。
映画をみながらぼくは自然にベッザウイさんのことが思い出された。ぼくにとってのアルジェリア人「最初の人間」はベッザウイさんだったのだ。
それにしても彼のようなフランス系アルジェリア人というのは、いささかややこしい。フランスとアルジェリアはかつて宗主国と植民地の関係であり、やがて起こるアルジェリア戦争では互いを殺しあった。対外戦争のようであり、同時に内戦の要素もある複雑な戦争である。だがフランス政府はいまだ「戦争」と認めていない。そんな不幸な歴史もあるのだろう。アルジェリアにおいてはフランス系としての、フランスにおいてはアルジェリア系として少し距離を置かれる存在である。ベッザウイさんはアルジェリアにもフランスにも居づらく、1970年代に家族とドイツに移住した。
つぎの夏はアルジェリアへ!
映画を観ながら心に決めた翌月、事件勃発。アルジェリアで邦人10人を含む37人が殺された。いわゆる「アルジェリア人質拘束事件」である。日本外務省は国民にアルジェリアへの渡航を自粛または禁止した。ぼくはといえばしかたなくアルジェリア行きをあきらめ、2013年はウクライナにした。運がよかった。現状ウクライナはあのとおりなので、今年(2014夏)だと行くのは難しかったかもしれない。
こうなるともう、行き先選びもタイミングである。アルジェリアにしたって次回いつ行けなくなるかわからない。そう思えばすぐにアルジェ行き往復航空券を予約してしまう自分にびっくりである。行くにはビザが必要で、発給には日程表や宿泊先の証拠書類も出さなくちゃならないことを知ったのは、もちろんその後のことだ。
でもなんでアルジェリア?
それは来月、記事を見てのお楽しみということですみません。
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