マスクをしている人が増えた、気がする。
風邪、予防、花粉、PM2.5・・・
マスクの理由ならいくらでもあるけれど、それにしても多い。SARSが吹き荒れていたころの香港を思い出す。それは極端だとしても、毎年こんなに多かったっけ?と思う。
2009年に新型インフルエンザが日本全土で流行ったころ、付近にいる人の半分以上がマスクをしていたことがあった。これを機に、職場などでも常備したかもしれない。マスクの売上額を見ても2000年くらいまではせいぜい70億円くらいだったのが、2009年は350億円まで上昇し、翌年150億円まで急降下した。そのまま下がって2000年あたりの水準まで戻っていくのかと思いきや、ふたたび上昇し、今にいたっているのが実状である(現在は250億円強)。
気のせいでなく、本当に増えているのだ。
大きな交差点に立ち信号待ちの人びとに目をやれば、必ずひとり、ふたりとマスクを付けている人が視界にはいる。意外と若い人も多い。物知りな人に聞けば「伊達マスクかもね」という。伊達マスク?
かつて、マスクといえばガーゼ綿にゴム紐のついたものだった。ハンカチのように洗って再利用するタイプである。それが「不織布タイプ」という使い捨てのマスクが市場に出回り始めたのは今世紀にはいったあたり。2003年のSARSのときに大きくシェアを伸ばした。フィットしやすく、総じて大きい。形も悪くない。いまじゃマスクの9割がこのタイプだそうだ。こうした使いやすいマスクへの進化もあいまって、別に病気じゃなくてもマスクをする習慣を助長したのかもしれない。菌の拡散を防ぐ目的のほかに「顔を隠す」という目的が加わった。
相手がマスクをしていると緊張する。
表情が下半分、隠れているからだ。面と向かえば言葉だけでなく、表情でも伝え合うのが会話。それが相手はぼくが100%見えるのに、ぼくからは半分しか見えない。これはハンディである。さらにもごもごと言葉がこもる。だから聞き返すことが多くなる。あまり聞き返すのも相手に悪いしと、いっそう注意を向ける。聞き漏らさないようにしなきゃ、と。緊張させられる。
逆からみれば、だからこそマスクをつけるのかもしれない。むしろ「そんなの常識じゃん」といわれてしまいそうである。黒サングラスが紫外線防止以外の目的で使われているように、マスクもまた衛生面の理由だけではない。マスクなんてうっとうしいから、つけないですむならつけたくない、と考えるぼくみたいな人間ばかりじゃないのだろう。
かつてはともかく、いまは会わなくても会話がなりたつ。出会いと別れをメールやメッセージだけですますカップルもいる。家族や友だち、仕事のやり取りもそう。「書き会話」は直接会話の代替手段と思うが、そうでない人も多いのだろう。感情表現を表情でやるとカドが立つ。めんどくさい。だったらリアルな会話も表情をマスクで隠しちゃえと。
現代人がストレスを感じる大きな要因は人間関係というデータもある。コミュニケーションのあり方に、何年人生やっていてもやっぱり悩まされるものだ。人と対面するのは楽しいが、苦痛もある。それを少しでも和らげるために人はマスクをつけるのかもしれない。
世の中の風潮として、打たれれば打たれても大丈夫なよう自ら鍛えるよりも、打たれないよう逃げまわったり、打つ側を一方的に責めたりするようになった。かつて日本には「相手にマスクは失礼」という暗黙の了解があった気がするのだけど(欧米ではいまもある)、いまはそんなことを指摘する側が「非人道的」と責められそうである。
マスクを通じ、すこし世の中がみえた気がした。
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