どちらかと言えば本を読むほうだけど、同じ本を2回以上読むことはそれほどない。だのに本棚にはいつも300冊くらい本が並んでいるのだから矛盾する。『アルフレッド・アドラー』に関する本は数少ない、なんども読んだ本のひとつ。読み終わってもずっと手元においておきたくさせる本だ。同じセンテンスを読んでも、その日の精神状態で刺さったり刺さらなかったり、合点がいったりいかなかったりする。そういうのが面白くて、気まぐれにページを開く。おおかたの心理学者の書いた本は、原因分析ばかりでつまんないけど、アドラーものは意味づけや受け止め方など対処法が中心なので、効果実感がわりと得られやすい。自分の心理状態を占っているような気分にもなる。
今日の気分だとこれが刺さった。
やる気がなくなったのではない。
やる気をなくすという判断を自分でしただけだ。
変われないのではない。
変わらないという決断を自分でしているだけだ。
誰かの放つ言葉に傷つき、やる気が失せたことはないだろうか? ぼくにはある。 でも、アドラーに言わせれば「やる気をなくすという判断を自分でしただけ」ということである。まったくだなあ、と思う。
それからこれも。
怒りっぽい性格の人はいない。
怒りという感情を使いまくるひとはいる。
だから生まれ変わる必要はなく
感情の使い方を変えるだけでいい。
ともすれば「生まれつきだから」と、まるで性格が運命づけられているような気になることがある。自分にも、また他人に対しても。「ああいう人だから」決めつけたりもする。感情の使い方は変えることができる。自分の性格も自分で決めつけたりせず、イヤなら変えればいいだけのこと。そうやって生きても、ぜんぜんかまわない。
アドラーの本は日本でもいろいろ出版されているようなので、本屋でパラパラめくってみてピンときたら一冊手元においておくといいかもしれませんね。
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