『北朝鮮収容所に生まれて』という映画を観た。
内容そのものがタイトル。北朝鮮にある強制収容所で生まれ、そこで育ったひとりの男のドキュメンタリー映画。脱北した人はこれまで多数いるが、収容所に生まれ、そこから脱出し、中国を経て韓国へ脱北した唯一の人間。それがこの映画の主人公、シン・ドンヒョクである。
北朝鮮にある政治犯収容所には2種類、ある。ひとつは再教育が目的で出所可能な「革命化区域」、もうひとつがシンのいた「完全統制区域」。釈放はなく、囚人たちは死ぬまで強制労働と飢えと拷問に身をさらす。生まれながら政治犯なわけがないが、この国では首領も世襲制なら犯罪者もまた世襲制。儒教の影響かもしれない。
物語はシンのインタビューでの語りを中心に進んでいく。収容所内での出来事はアニメーションで再現される。水墨画のようにトーンがおさえられた絵に赤い旗がやけにめだつ。赤い旗は労働意欲を喚起させるのだという。収容所内で起こっていることは、これまでさまざまな文献で読んできたつもりだが、やはり想像を絶するものがある。信じたくないという気持ちにさせるが、そのたびに裏切られる。
▲ 収容所のようすはアニメーション【映画『北朝鮮収容所に生まれて』より】
出会い頭に殴られ、腕を折られ、棒で顔を殴られ、女はレイプされ、妊娠すれば子を引きずり出し殺され、木にくくられ銃殺される。銃殺は公開される。映画には、拷問をする側にあった元保衛員のインタビューも交えられる。せわしなくたばこをふかしながら、囚人たちがその日生きるか死ぬかは保衛員の気分にゆだねられていたとも話す。
シンはときおり「もう話したくない」「きょうはもうやめだ」といい、インタビューが中断される。感情はほとんど顔に出ない。笑うことはなかったという。なぜ人は笑うのかわからなかったとも。表情に疲れがみえたようすが映される。手で顔をおさえ、天をあおぐシン。床に布団を敷いただけの部屋で寝起きし、それでも拷問で曲がった腕をカメラにさらす。足は醜く傷だらけでシャワーのとき鏡に映ると怒りがこみ上げてくると話す。
シンにとって世界のすべては収容所であった。そこには家族という概念もない。よって愛情もない。だから兄と母親が脱走しようとすればそのことを密告し、そのため自分も7ヶ月の拷問を受け瀕死の状態となる。天井につるされ火であぶられた。その後、母親と兄が公開処刑されるようすを「当然のこと」と冷ややかに見るだけだった。食事は気まぐれに配給されるとうもろこしの粉でできたなにか。それと少しの白菜。収容所内に死体は豊富にあったからこれらを貪りネズミは太る。タンパク源はネズミを捕らえて焼いて食べたという。内蔵を取り出し骨も食べたと。ヒトを食べたネズミを人が食べる・・不思議な生態系である。
そこで生まれ育ったシンは「脱走する」という概念がまずない。絶望もない。思うのだけど希望のないところに絶望もないのだ。「あのころはよかった」という記憶があってはじめていまが悲惨だと絶望することもできる。収容所が不自由で悲惨かどうかを認識するには、かつて自由であり幸福だった記憶が必要である。シンにはそれがない。
そんなシンの人生を変えたのは、新たに収監されたパクという男。労働中に外の世界をシンに話して聞かせた。中国という大国があり、南にはもうひとつの朝鮮がある。そこでは人々は好きな場所にいけてお金でいろんなものが買える。車が、パソコンが、ケータイ電話が・・どの話もシンは興味がもてない。価値がわからないのだ。唯一、食べものをのぞいては。焼き肉や白米、美味しそうな食べ物にはそそられた。おいしいものを自分も味わってみたい。これが脱走の動機である。なんの概念も必要としない、人間の本能だ。
千載一遇のタイミングで収容所を脱出したシン。収容所と外界は高圧電流の通った有刺鉄線で遮られている。いっしょに脱走しようと先にくぐったパクおじさんは感電死、はからずもシンの絶縁体代わりとなった。初めて見る収容所の外の世界にひどく感激する。人々は自由で、好きなときに好きなものを食べていることに。ぼくなどは北朝鮮ぜんたいが強制収容所に思えてしまうのだけど、シンにしてみれば収容所の内側と外側で、すでに天地の違いがある。それは中国に脱出し、やがて韓国に亡命しソウルに住んでも変わらない。韓国は近代的でものがたくさんありますが驚くべきではありません。それより北朝鮮の、あの町には驚き感激しました。とふりかえる。
▲ シン・ドンヒョク本人【映画『北朝鮮収容所に生まれて』より】
映画の終盤、シンはこう語る。
暴力と飢えと死があたりまえの収容所の日常。愛情も娯楽もない。それでも人々は生への執着を捨てない。自殺者もいない。いっぽう韓国はモノも豊富でおいしいものもあるが、金銭や人間関係に絶望し、自殺をする人がたくさんいる。*1
そのことにショックを覚える。人は命が危険にさらされる場所でも懸命に生き、そうでない場所では自ら命を断つこともある。死を選ぶのも自由。それもまた皮肉なものである。
そんなことを考えながらぼくはエンドロールを見るともなく見ていた。その間、だれも席を立とうとしなかった。
*1:10万人あたりの自殺率で韓国は世界第3位(日本は12位)である。
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